2007/12/03

旅立ち

11月17日(土)のお昼過ぎ、敬愛する私の母方祖父が永久の旅に旅立ちました。十数年前より病を患い、2度の大手術を乗り越えて来ましたが、3度目の再発時に、病と共に残された人生を生きる決心をし、迎えた「その日」でした。数年前より徐々に病が進行し、今年の初夏より我が家に近い総合病院のホスピスに入院していました。未だ、祖父がこの世にいないことが信じられないのですが、これは紛れもない事実なのだということを、今、この記事を書くことで知らしめられている気がします。blogにこの様な記事をupするのはどうかとも思いますが、どうしても記録として残したくて、少しばかり私の祖父について書かせてもらおうと思います。

病を抱えてなお、これに打ち勝とうとし、2度も大手術を乗り切ったことからもわかる様に、祖父はとても前向きで、又、知的好奇心の旺盛な人でした。病と共に生きることを決めてからも、機会がある度に、著名人の講演会を聞きに行く他、「老人大学」に入学し学習に励んだり、県内にある博物館のお手伝いをするなど、「学ぶ」ことに対しては貪欲と言っても過言でありませんでした。ホスピスに入院してからも、「人間、目標をもたなアカン」と、自ら様々な目標を立てて取り組む他、読書欲も入院以前と変わらず、病床には常に書籍が置いてありました。祖父は、自ら努力して得た知識を他者にひけらかそうとはせず、知識を自身の財産として大切にする人でした。私は子供の頃に祖父から「akouさんも頑張って勉強しなさい」と言われ(両親には言われたことがありませんでしたので)不愉快になったこともありました。しかし、祖父が旅立つ数ヶ月前にも「akouさんも頑張って勉強しなさい」と全く同じ言葉を言わたときには嬉しく思いました。この時には、祖父の言う「勉強」とは「知的好奇心と向上心を持って生きていくこと」なのだと私なりに解釈していましたから、「はい」としっかりと返事ができました。祖父は私に、知識は見えない財産であるということを、示してくれました。

『継続は力なり』という諺がありますが、祖父はまさにこれを実践した人だったと思います。毎朝のラジオ体操や日々の日記は欠かすことなく続けていました。十年日記という日記帳が販売されていますが、既に一冊を書き終えて二冊目に入っており、ここには日々の出来事が事細かに記されていました。私は祖父が現役時代、国鉄職員として、又、その後、旅行代理店で働く姿を覚えてはいませんが、きっと目立つことは無かったと思いますが(何せ、現役引退後に目標を掲げて行っていたのが、ラジオ体操や日記といった、ひたすら地味なものですから…)、コツコツと仕事をしていたのではなかろうか、と想像します。

祖父は人との繋がりをとても大切にする人でした。老いても妻を愛しんでいたのはもちろんのこと、子、孫、孫の配偶者、曾孫に対する情愛は計り知れず、皆を平等に愛してくれました。又、祖父は友情も大切にする人でした。自身の友人にはもちろんですが、子や孫の友人も同じ様に大切にしてくれ、若い友達として接する中、携帯電話やデジカメ、パソコンの技術を学ぶなど、ハイカラでした。祖父の通夜、葬儀の際に、私たち孫の友人の参列があったのですが、この時にその友人達を通して、改めて祖父の人としての温かみを知った気がしました。

祖父は旅が好きな人でした。私が住んでいたスイスも、いとこが留学していたアメリカも訪れています。結局、理由は聞けなかったですが、何故か祖父は松山の道後が好きで、私が縁あって松山出身のham君と結婚した時には非常に喜び、私たちの帰省に一緒について行くと言っていたこともありました。この様に、祖父は旅行好きだったことに加え、無類の鉄道好きでもありました。琵琶湖環状線が開通したら乗りに行く、新しい電車が登場したら乗りに行く、と一体「何鉄」というのかはわかりませんが、本当に電車が好きでした。時刻表は常に新しいのを入手し、時間さえあれば「青春18切符」を利用して旅に出るなど、いつも”心は青春”の驚くべきバイタリティを持つ”おじいさん”でした。ホスピスに入り、補助具を使わないと歩けない状態になってからも「N700系に乗って東京に行く」と言い、計画を立てていました。私の友人でN700系の設計に携わっているkovaちゃんのご主人が、N700系のパンフレットをわざわざに送ってくれた時には、これを目を輝かせながら読んでいました。そしてその時も、「やっぱり、本物に乗りに行かなアカン」と自分に言い聞かせるように呟いていました。残念ながらこの目標が達成されることはありませんでしたが、新たな目標を与えてくれたkovaちゃんのご主人には、私はもちろん、親族の皆もとても感謝しています。祖父は私の大切な友人が、N700系の設計に携わっていることが嬉しく、又、誇りだったと思います。

小康状態を保ちつつ過ごしていた祖父でしたが、11月14日(水)より様態が急変し、11月17日(土)に人生を全うしました。11月17日(土)はテニス合宿でしたから、私はこの前夜まで合宿に参加しようかしまいか迷いました。「目標を持って前向きに生きること」を実践して教えてくれた祖父、私たち夫婦が二人で新しい習い事であるテニスを始めるのを喜んでいてくれた祖父ですから、「今、私たちが頑張っているテニス」を祖父の為に放棄するのを祖父が快く思うはずがないとham君と二人で結論を出し、参加を決意しました。結局、テニス合宿前夜に祖父に会ったのを最期に、合宿当日、車の中で祖父の旅立ちの知らせを聞くこととなりましたが、私もham君も心穏やかにこれを受け止めることができたと思っています。

祖父は多くを語らず、決して目立つ存在ではなかったと思いますが、自身の信念に基づいてコツコツと人生を歩み、これを全うした人だったと思います。人類の歴史の単位で見れば、その他多くの点と同じ一つの点にしか過ぎない生であっても、こんなにも素晴らしい人生であれる、ということを示してくれました。又、常に目標を持って生きる、目標に向かって生きたい、と思うことの大切さを知りました。人にはそれぞれの価値観があり、自ら生を絶つ人たちもおられるこの世の中ですが、私は祖父の最期の壮絶な生への思いを見て、何があっても決められた「その日」まで、生きて行こうと強く決心しました。

私と祖父との付き合いは、私がham君と一緒に暮らし始めるに際し、祖父宅の近くに引っ越してから、が主でした。祖父の人生の最期の数年間ではありましたが、祖父と共に過ごす時間を与えられたことに心から感謝をせずにはいられません。

写真は上から
*祖父が育てた菊
*菊の自家製(!)ライトアップ、因みに菊の小屋も祖父作
*ham君にパソコンを教えてもらっている祖父
*祖父に買ってもらったマグカップ
*祖父が祖母と共に作っていた畑の野菜たち

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Akouちゃん おかえりなさい。そしておじいさまの御冥福を謹んでお祈り申し上げます。最新のBLOG記事、全て拝読しました。スイスや義理のお父様お母様についての記事は勿論ながら、この記事ではこちらもほろりときました。BLOGでこれだけの行数を割いて思い出を語ってもらえるおじいさま、お幸せですね。素敵な方だったのでしょう。家族の絆の大切さが最近ますます身に染みて感じられるようになりました。私は子供の頃も両親と海外で生活していましたし、嫁ぎ先も国外でしたので、母方の祖母と父方の祖父の訃報はノルウェーで聞きお葬式にも出席することができませんでしたし、それ以前に亡くなった母方祖父についても、知っているのは「無口だったが腕のとてもよい大工だった」こと、祖父の建てた家屋の美しさと耐久性に孫として誇りを持つも、Akouちゃんほど祖父の生き様について語れるかというと全く自信がありません。夫の祖母の家に遊びに行くと、お決まりのようにおばあちゃんのそのまたおじいさん・おばあさんの人生や彼らの生きた時代や社会についての話題が会話にのぼるのですが、Akouちゃんのおじいさまのお話ものちのちの世代まで伝わっていくものかも知れません。いずれにせよ、おじいさまはAkouちゃん御家族の心の中の大切な記憶としてこれからも生きていかれるものと思います。

akou さんのコメント...

>irisjentaちゃん
ただいま(^^)

コメント本当にありがとうございます。祖父は、私にとって大切な存在でしたから、身内を褒めるような内容を書くのはどうんなものかと憚られもしましたが、祖父を敬愛する私の気持ちは揺ぎ無いものですし、又、祖父を誇りに思っていますから、改めてその思いを文字にして残そうと思いkeyを叩きました。

今回、祖父の最期の時にしっかりと向き合えたことは、本当に幸せなことだったと思います。irisjentaちゃんが書いておかれたように、物理的に難しいという理由から、機会に恵まれない場合もあると思います。

書店で海外生活が美化された内容の書籍や雑誌を目にしますが、決して楽しい事ばかりではなく、日本や日本の家族、友への自身の思いに涙する覚悟も必要であることは書かれていません。私が子供の頃に経験した海外生活で、自分がそこまで思慮深くあれたとは思いません。しかし、今、自身が成長した分、周りも年輪を重ねて「送る」可能性が高まると、やはりそういった覚悟なしでは外にはでられないものだと想像します。

ただ、もしかすると距離や時間は大きな問題ではないのかもしれないとも思います。「近い」とか「共に過ごした時間が長い」というのはアドバンテージと見なされがちですが、それよりは短くとも、遠くとも如何にに自分がその人と共有する時間や空間を大切にするかにかかっているのかもしれないと思います。

祖父は私たち家族がスイスから送った手紙をスクラップ・ブックに日にち順に閉じておいてくれました。むろん私の母親(当時、今の私と同じ年頃でした)が祖父母に宛てて書いた手紙が殆どでしたが、これこそ時空を超えた愛情の証だと、遠くにいても思い遣れるのだということを語りかけていてくれると感じました。

なんだか取り留めがなくなってきてしまいました。irisjentaちゃんが書いて下さったように、今では心の中でとても身近に祖父の存在を感じることができます。

匿名 さんのコメント...

Akouさんからおじいさまのお話、少しお聞きしていましたが、このタイトル通り「旅立ち」がぴったりな方だったのでしょうね。
夫婦でblog読ませていただきました。
おじいさまのご冥福をお祈り申し上げます。

主人は、N700のパンフを送ってよかった、きっと「鉄道マン」らしい方だったんだろうね。と言っていました。

主人いわく、目立たずコツコツしている人こそ鉄道マンなんだそうで、Akouさんのおじいさま、在職中はもちろんのこと、日記をつけてラジオ体操をかかさない・・・そんな部分こそが鉄道マンっぽいと。。

私は、「好奇心旺盛」という部分とても好きです。いつもそんな気持ちで何事にも取り組める→そんな心意気、見習っていきたいです。

akou さんのコメント...

>kovaちゃん
コメントどうもありがとうございました。K君と読んでいただいたとのこと、本当に嬉しく思います。

祖父は私の結婚式の際に、kovaちゃんとK君にお出会いした、というか同じ時間を過ごしたことがあるだけでしたが、「鉄道マン」という共通項でもって、K君のことを身近に感じていたのではないかと想像します。

K君には本当になんと感謝してよいのか、本当にありがとう。

祖父が他界してから、改めて感じているのですが、本当に「じみぃ~」に色々なことを続けていたし、「こっそり」好奇心旺盛な人だったのだな…と思います。これを「控えめ」と評すると非常に偉人的に聞こえますが、あえて「じみぃ~」で「こっそり」としたところが祖父らしかったと(笑)思う今日この頃です。

匿名 さんのコメント...

ほんとうに最後まで「前向き」だったね。
ずっとみんなに囲まれて、幸せだったんじゃないかな。

自分の余命を知って、それでも生きようとしたおじいちゃんはいつもakouを勇気付けてくれたよね。おれもおじいちゃんにはいろいろと感謝してます。

おれができることで、少しでもおじいちゃんの力になれて良かったよ。

akou さんのコメント...

>ham君
本当、驚くほど「前向き」なおじいちゃんでした。おじいちゃんのその様な姿勢のお陰で、私も今こうやって自分自身に向き合えている気がしているよ。

ham君には病院に一緒に行って貰ったり、それ以前からもパソコンの買い物に付き合ってくれたり、気長にパソコンの操作の仕方を教えてくれたりと、本当にお世話になりました。感謝しています。