2008/12/27

気になる建物 Ⅲ

私は京都の木屋町を昼間にブラブラ散歩するのが好きです。木屋町と言えば夜の街、もちろん、夜にもそこに訪れたこともあります。夜は夜で楽しめます。しかし私は、活気溢れた夜が終わった木屋町。遊びつかれた人々も、働いていた人々も、それぞれの場所に帰った木屋町。役目を終えた午前中のひっそりとした木屋町。そんな木屋町が好きです。業者さんが出入りしている姿がちらほら見られる、そんな人もまばらなその通りでは、のんびりと猫が身繕いをしていたり、街に住む人たちがお散歩をしていたりします。

そんな、気まぐれな私の木屋町ぶらり歩き、その時に、ちょっと気になる建物を見つけました。どうも小学校らしいのですが、いつ行っても子供の声は聞こえてきません。そこで、前回11月中旬に訪れた際、写真を撮って来る際に、建物の名前をチェック、一度調べてみることにしました。

その建物は間違いなく、嘗ては小学校だったようです。『立誠小学校』と言われた学び舎だったそうです。児童数が減少し、平成5年に他の学区の小学校と統合され、廃校となったとのこと。こんなに素適な学校なのに…と、人事ながら、とても残念に思われます。

この小学校は歴史が古いらしく、もともとは1869年(明治2年)に三条河原町周辺にあった、下京第六番組小学校が始まりなのだそうです。これが1877年(明治10年)に立誠小学校という名前になったとのことです。その後、大正期に火災により消失した為、1927年(昭和2年)に現在地に新築されたのだそうです。

ああ、こんな校舎で学習してみたかった…と思わせる、重厚感溢れる建物。少子化という世の流れの為、仕方ないとは言えども、廃校にならざる得なかった事実がとても寂しく思われました。どうやら現在でも、時にシンポジュウムなどで使用されていることもあるようです。この素晴らしい建物が、取り壊されずにここに存在していることに、心から喜びを感じました。機会があれば、私も是非中に入ってみたい、ここで学んでみたい、と思いました。

我が家のクリスマス 2008 #4

2008年の我が家のクリスマスについて、これで最後の記事となります。クリスマス・イヴのことが、すっかり頭になかった我が家のham君でしたが、実は、クリスマスプレゼントは既に渡してくれていたのです。

今年の私の誕生日、5月なのですが、その時から、「欲しいものはないの?」と言い続けてくれたham君。しかし、私には一向に欲しいものが現れません。そんな秋も終わりに近付いていたある日、この11月でしたか、私は素適なネックレスと運命の出会いを果たしました。どうしても、どうしても気に入ってしまったそのネックレス。ham君に、誕生日プレゼントと、クリスマスプレゼントを合わせて、そのネックレスを贈ってもらうことはできないか、とお願いしてみました。すると、この願いを快く叶えてもらうことができ、クリスマスの少し前、私のところに届いたのでした。

以前から、少し長めでヴォリュームのあるネックレスが欲しいと思っていたのですが、まさか、こんなに素適なものに出会えるとは思っていませんでした。ham君、プレゼントしてくれて本当にありがとう。

我が家のクリスマス 2008 #3

電話にて「ウフフフッ」と笑ったのは、我が母こと華香ママ。その意味深な笑い声の後、「今年はham君とakouにプレゼントがあるねん…」と続いたのです。むむむっ…!彼女の声の具合からして、これは喜んでよいものなのか…それとも恐れるべきものなのか…判断し兼ねた私。一先ず、「わぁ!本当!?ありがとう!」と、感激の声を返しておきました。

そして日々は過ぎ、21日(日)。自動車のメンテナンスで、実家に程近いディーラーまで行きました。毎年恒例の行事、『かまくら』に向けて、タイヤの履き替えを済ませておかねばなりませんでしたし、今回は、ETCの取り付けや、ヘッドライトのクリーニングなど、ついでに色々とお世話になる予定でした。そんなわけで、作業に時間を要するとのことでしたから、ディーラー(妹のchikou☆が勤めています!)に我が家のVitzを預けて、私たち二人はchikou☆のVitzに乗って実家まで行き、そこで我が家のVitzのメンテナンスの終了を待つことになりました。その間に、我が華香ママから、私たち夫婦にプレゼントの贈呈式が執り行われたわけです。

さてさて、そのプレゼントとは…右の写真でもうおわかりと思いますが、ねずみとねこのぬいぐるみでした。もちろんham君にはねずみ、ねこは私にです(私の方が大きいのが気になります…)。実はこのねずみ、華香ママがお店で初めて出会ったとき、「ああ、可愛い」と、どうしても欲しくなったのだとか。しかし、ham君にヒンシュクをかうかしら…と、思い留まったそうなのです。しかし、日を改めてお店に行ったら、まだ!いたのだそうです。それで、どうしても買わなくては!という使命感に燃えて買ってしまったのだとか…。一方、ねこの方は、実はこれ、パペットなのです。絵本、「11ぴきのねこ」シリーズに登場するネコなのですが、ご存知の方、おいででしょうか?私の大好きな絵本で、以前よりとっても欲しかったぬいぐるみなのです。いい大人がどうかとも思いますが…、本当に心から嬉しかったです。ありがとう、華香ママ。そしてお陰様で、我が家の「ねずみグッズ」も57個を数えるまでになりました。ham君も喜んでいるように見受けられました。

その日の夜、妹chikou☆が作業を終えた我が家のVitzに乗って、我らが待つ実家に帰って来てくれました。これで『かまくら』に向けての準備が一つ整いました。

この日の晩ご飯は実家にてご馳走になることになっていました。メニューは、私たちの要望に答えいただき、”たこ焼きパーティー”となりました。たこ焼き機をテーブルの上に乗せ、そこで作りながら食べるのですが、誰が作るのが上手いなどと言いながら、楽しく、お腹一杯、たこ焼きを食べました。久しぶりのたこ焼き、美味しかったです。その後、華香ママお手製のチーズケーキにスイートポテトソースを添えたものを食しました。スイートポテトソースは華香ママの双子の妹、Mおばちゃん直伝のものだそうで、なかなか美味しかったです。パイ生地の中に流し込んで焼いたりしても、また違った感じで美味しいかな…なんて思いながら頂きました。

2008/12/26

我が家のクリスマス 2008 #2

クリスマス・イヴの夜、「ああ、そう言えば今日はイヴだったねぇ」というビックリ発言と共に帰宅した我が夫ham君、彼と食卓を囲んでいると、”ピンポーン”とインターホンが鳴りました。こんな時間になんだろう…と思い、ドアスコープを覗くと、白い息を吐きながら荷物をもって玄関に立つ郵便屋さんが!イヴの夜に、なんて素適なんでしょう!

荷物は芦屋に住む伯父さまと叔母さまからでした。早速、開けさせてもらうと、中からham君へのネクタイ!そして私にまで!手袋が入っていました。伯父さま、叔母さま、本当にありがとうございます。

私の手袋は、手首のところにファーが付いている他、小さなリボンもついてあり、とても上品なもの。欲しい、欲しいと思いつつも、なかなか自分では買えなかったものでしたから、本当に嬉しかったです。大切に使わせてもらいます。

そして…

ham君にはとってもかわいらしいネクタイ!右の写真では見難いでしょうから、もう一つ一部を拡大した写真を載せたいと思います。このネクタイ、グッズの仲間入り間違いなしです。そして、叔母さまから頂いたこのネクタイをもって、我が家のグッズは56個目を数えることとなりました。

思いがけず、サンタさんがやって来た我が家のクリスマス・イヴ。素適なサプライズ、叔父さまと叔母さまに感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございます。

我が家のクリスマス 2008 #1

イヴの日。

「今夜のメニューは何にしようかな…」と考えつつ冷蔵庫を開けた私。目に入ってきたのはヨーグルトとチキン。その瞬間、どうしても、どうしても、タンドリーチキンが食べたくなりました。そういうわけで、急いでソースを作り、その中にチキンを漬け込む作業に取り掛かりました。そいうふうにして、今年のクリスマス・イヴのメニューが決定したのでした。

お夕食には、お気に入りの真っ白のお皿に、サラダとチキンを一緒に盛って出しました。間接照明と蝋燭の光で夕食を楽しんだので、写真が少々ぶれてしまって残念です。タンドリーチキンのお味の方は…、何と言ってもその日に突然思い付いたので、チキンをソースへの漬け込む時間が短かったのが響き、残念ながら”チキンの中までのソースの濃厚なしみ込み”にまでは達しませんでした。しかし、まあまあの出来栄えだったのではないでしょうか。少なくとも、私の「タンドリーチキン食べたい」欲は満たされました。

お食事が終わった後、これまた急に思いついて焼いたアップルパイを、ham君が入れてくれたご自慢のコーヒーと共に頂きました。

私はパイが大好きで、以前は市販のパイシートを使って頻繁に焼いていました。しかし、そんなある日、ham君が「実は…」と申し訳なさそうに、「俺、このパイの生地があまり好きではないんだ…」と告白。気に入って食べてくれていると思い込んでいた私は、この世紀の大告白に大いにショックを受けたのでした。そしてそれ以降、パイ作りをお休みしていました。しかし!実は…、今年の夏に買ってもらったフードプロセッサを使えば、自宅でも簡単にパイ生地が作れるようになっていたのです。夏の暑さ、それ以降の小忙しいさにかまけて、パイ作りに挑戦していなかった私でした。

ですが…イヴの日の一昨日、「今日こそは!」と一念発起し、自宅にあったリンゴを使ってアップルパイを焼きました。

出来上がりは右の写真。見た目、結構美味しそうに焼けたと自画自賛していました。しかし、ham君の感想は…「パイがちょっと塩辛くない?それに、サクサク過ぎて”パイ”って感じではなくて、むしろクッキーに近いかな…」と、今ひとつのものでした。私が大きく落胆したのは言うまでもありません。

レシピには塩は小匙1/4とありました。私には「小匙1/4って量りにくいし…」と思い、適当に塩を入れてしまった事実がありましたから、塩辛さについては私も同感でした。そしてサクサク具合についても、確かにその通り。切り分ける際にも、パイは細心の注意を払わなくてはならない程に砕けやすく、一苦労しました。本番までに練習をしておけばよかった…と思っても後の祭り。まだまだ「美味しくなる」見込みがある私のパイ生地である、ということがわかったイヴのデザートでした。今後、研究のためにパイが我が家の食卓に登場する回数が多くなることでしょう。

2008/12/22

『TIME'S』 再び

再び、「安藤忠雄建築研究所」設計の『TIME'S』を訪れました。前回訪れたときは、三条小橋側にある入り口から入り、『CAFE cento cento』でランチを楽しみました。そして、遠慮がちに外観を撮影、「ああ、もう少し色々と観て回りたいのにな…」との思いを残しつつ帰宅。そいうわけで、今回は大胆にも探検をするつもりで行きました。

上述、ランチをした日は、南側にも入り口があることに気が付きませんでした。ですから今回は、もう一つの入り口から入ろうと心に決めていました。一人でしたから少々不安はありました。ビクビクしながらも、ぐるりと建物の南側に回りました。キョロキョロしていると、入り口を発見。ところがその入り口、とっても細く狭い上に、隣のお店とピッタリとくっ付いて建っているではありませんか!本当にここから入ってよいのかしら…と尻込みをしてしまいました。小さいとは聞き知っていましたが、正直なところまさかこれ程とは思っていませんでした(左の写真の中央、電柱の真横が入り口)。

その入り口の、あまりの目立たなさに、大いなる心細さを感じながらも、勇気を振り絞って歩を進めました。何せ今回は「探検」を目的に来たのですから、少々のことで怯んでいてはなりません。

入り口を入って直ぐ左に、『TIME'S』の見取り図を発見しました。どなたかのHPにて見たことのある図でしたが、実際に目にするのは初めてでした。3階立てのこのビル、1階を「RIVER LEVEL」、2階を「STREET LEVEL」、3階を「UPPER LEVEL」と呼ぶことを知りました。自然の条件に合わせてそれぞれの階に付けられたこの呼び名、私はとても素適に思います。そして、ますますこの建物を好きになりました。暫くこの図に見惚れていましたが、あまり時間をかけて観ているのも怪しいかしら…と思い、一先ず写真に記録をしてその場から移動することにしました。

入り口近くの見取り図から真っ直ぐに進むと、そこには靴屋さんがありました。カラフルなスニーカーたちがガラス越しにディスプレイされている様は、見ているだけで心が軽くなり、ウキウキとしてきました。靴屋さんの左手には数段の階段が設けられており、ここを登るとなんだか明るい。上を仰ぎ見ると吹き抜けになっており、長方形の部分から青空が覗いているではありませんか!ビルの中の筈なのに、一部が外と面している。晴れの日は光が入り、雨の日は雨粒が落ちてくる。中にいても外=自然の状況を感じられる。いかにも安藤忠雄氏らしい建物…と暫し上を見上げていました。

靴屋さんの横を通り抜けると階段がありました。階段を登り、上から三条小橋の方向を眺めると、高瀬川沿いに『CAFE cento cento』へ続く通路が続いていました。もちろん、この通路にも屋根はなく上は青空。雨が降っていたら傘をさすか、小走りに走り抜けるか、どちらかでの移動が必要です。右横には高瀬川のせせらぎが気持ちよさそうに流れ、時に赤く色を染めた落ち葉が流れ行く様も見られました。あまりにも川面が近い為、雨で水嵩が増し、通路に浸水してきたことはないのだろうか…などど、考えてしまう程でした。mixiの安藤忠雄氏のコミュニティでの書き込みに、この建物を建てるにあたり、川べりに手すりを付けるか付けないかで、安藤忠雄氏がお役所と議論をしたとのエピソードが寄せられていました。高瀬川はとても浅く、万が一、落ちてしまったとしても靴を濡らす程度と思われますが、確かにあまりの近さに、最初は心もとなさを感じたのも事実。しかし、今となっては手すりのない開放的で、且つ自然を身近に感じられる建物が大好きな私。手すりが取り付けられなくて良かった…と思います。

『CAFE cento cento』について暫し休憩。この日もここでランチを頂きました。窓側の席で、川の流れを眺めつつのランチ、本当に贅沢な話です。川の流れを観る他にも、ビルの内部を少々観察。ガラス張りになっていて店内が良く見えている隣のお店に、地下に続く階段があるのが見えました。ビルの入り口にあった見取り図では、地下階があることに気が付きませんでした。

さて、この階段。謎のままにして帰ることもできたのですが、その日は探検家気分だった私。好奇心を抑えきれず、『CAFE cento cento』のウエイトレスさんに勇気を出して尋ねてみました。すると地下階には、事務所とお手洗いがあるのだとか。「そうなんですか!」と、新発見に心躍らせた私。流石に事務所には立ち入らせてもらえないでしょうけれど、お手洗いならばお客である私が使用するのに問題はないはず。そういうわけで勿論、お食事の後、お化粧直しを装って地下に行って来ました。お手洗い自体は非常に小さな空間でしたが、鏡が張り巡らされており、視覚的な効果のせいでしょう、かなりの広さに感じられました。地下に降りていく階段は、ダン・ブラウン氏の小説に出てくるような、古代ローマ時代を思わせるような雰囲気で、私の心を捉えて離さなかったのは言うまでもありません。

再度訪れた『TIME'S』、隅々まで見ることができ、大満足。とても有意義な時間でした。

11月の京都

時はだいぶん遡ります。
11月の半ばに京都に行った時のこと。

道路を走る観光バスを横目に
鴨川の河川敷をテクテクと歩きました。
名立たる観光地は人、人、人でしょうが
鴨川河川敷では木の数は少ないものの紅葉を独り占め。
とっても贅沢なひと時でした。

今年は紅葉が美しかったように感じましたが
皆さんの地域ではどうだったでしょうか。

2008/12/21

お醤油ベースのパスタ

前回、お醤油ベースのパスタを作った時、ham君に「焼きそばみたいや…」と言われました。見た目も、お味も焼きそばに限りなく近く、否定をする理由がとても少なかったのは事実でした。しかし、初めて挑戦した和風パスタだったものですから、私の心はポッキリと音を立てて折れてしまいました。それからというもの、お醤油ベースのパスタへの情熱を胸に秘めながらも、心ポキリの後遺症が癒えず、なかなか再度挑戦する勇気を持てずにおりました。

そんな先週のある日。ランチに食べるものが自宅に何もない!という緊急事態が発生、急遽、何かを見繕って作らなくてはならない情況に陥りました。そこで、冷蔵庫にあるものと相談した結果、一番手っ取り早いのが和風パスタだろう、という結論に行き着きました。

それでは…と、早速COOKPADで検索、検索…。その結果、「ネギとツナのパスタ☆バター醤油でコク旨」に出会いました。ham君の分も作って失敗すると申し訳ないけれど、私一人の時ならば犠牲になるのは私だけ。思う存分に挑戦してみようと思い、一人ランチの割には珍しく腕を振るいました。

すると!どうででょう!手前味噌な発言ですが、なかなか美味しいパスタが出来上がりました。レシピにはわけぎとありましたが、我が家には白ネギしかありませんでしたから、これで代用しました。そして当然、パスタの上に飾るわけぎもありませんでしたから、のりを乗せてみました。濃い口のお醤油を使って味付けしましたので、色合いに少々難あり…かとは思われますが、お味は本当に美味しかったです。レシピを提供下さっている方のお陰、と言う他ないでしょう。ありがとうございます。

この日の成功体験のお陰で、少々自信がもてるようになりました。今後、色々なレシピを探し、強気に挑戦し、「akouの和風パスタ」を探す旅に出たいと思います。

2008/12/20

食器洗いスポンジ

皆さんは食器を洗う時、どのようなスポンジをお使いでしょうか。我が家では今まで、スコッチブライトのスポンジたわしを愛用してきました。色々と使用してきた中でこれが一番だと思っていました。ところが、先日愛媛に帰省した際、お義母さんが使っておられた「ちょっと変わったスポンジ」と出会い、考えを変えることとなりました。

お義母さんの台所にあったのは、一見すると布のようにも見えるピンク色の物体。「コレ、何で出来ているのですか?」と尋ねると、「100円均一で売っている洗濯ネットをリメイクしたものよ」と、教えて下さいました。このスポンジ、お義母さんも「お友達から教えてもらった」と言っておられました。

100円均一で買った洗濯用のネットを、適当な大きさに切って重ね、何箇所か直線縫いで縫うだけと、至って簡単に出来るこのスポンジ、前述しましたように本当に布同然です。しかし、これがとてつもない威力を発揮するのです。洗顔用のあわ立てネットを知っておられる方は、「ああ、なるほど…」と思われるかもしれませんが、これ、意外と泡立ちます。そして、この網目が何か原因しているのでしょうか、多少の油物ならば綺麗に洗い落としてくれます。本当に優れものなのです。そればかりか、「直ぐに乾くのも清潔でしょ」とお義母さん。確かに口に入れる食器類を洗うスポンジ、常に洗って、できるだけ乾いている状態にしておきたいですものね。

愛媛から帰ってくる際、お義母さんのストックから一つ貰って来ました。現在、我が家の台所で大活躍中です。本当に良いものを教えてもらいました。ありがとう!お義母さん!

梅ドレッシング

フードプロセッサーを買ったときに付いて来た冊子に「梅ドレッシング」がありましたので、作ってみました。

材料は梅干し(種を取る)50g、酢60ml、砂糖とみりんをそれぞれ大匙1、これらをフードプロセッサーに入れ、「高速」につまみを合わせ、ナイフカッターで10秒間回して出来上がり。とっても簡単な上にお味も良かったです。

私はもともとドレッシングは手作りしたい派なのですが、ついうっかりドレッシング用に取っておいた瓶を捨ててしまってからは、その瓶がないのを良いことに市販の物を買うようになっていました。人間、なんだかんだ理由を見つけてはついつい易きに流れてしまうものです。

しかし、先日ドレッシングを物色している際、食品表示に「○×△など」と記されているのを見て、「など」って何!?と大きく疑問に思ってしまい、結局ドレッシングを買うことが出来ませんでした。

食の安全が叫ばれる昨今、ついつい疑ってしまう私も良くないとは思うのですが、何が入っているのかわからない物を買って食べるより、多少手間がかかっても自分で作る方が健康的なのではと考えます。お味は二の次でも、そのものの正体がわかるとものが食べたいですね。

2008/12/19

「チリモン」

「チリモン」=「チリメンモンスター」をご存知ですか?先日、珍しく夫婦してTVを観ていて知った"new word"です。釜揚げしらすや、ちりめんじゃこの中に混じっている、カタクチイワシの稚魚ではない海の生物のことを言うらしく、子供たちの中では大人気となっているそうです。

私も子供の頃は「チリモン」を探すのが大好きでした。ちりめんじゃこの中に小さなタコが入っていようものなら、小躍りしていたのを思い出します。今時の子供たちのように「チリモン」等とハイカラな名前は付けていませんでしたが、心躍る対象はいつも一緒なのですね。

実は…私…今でも「チリモン」を見つけると、心ひそかに幸せを感じています。先日食べた釜揚げシラスの中にも「チリモン」が入っていました。「チリモン」としてはあまり珍しい部類には入りませんので、希少価値は低いですが、大きかったのでご紹介します。どれかわかりますよね!?

2008/12/17

十円玉

宇治と言えば平等院鳳凰堂です。と言うことで、抹茶MISSIONを満足のうちに終えた私たち3人は、日が暮れるのを恐れて平等院へ足早に向かいました。ham君は修学旅行か何かの機会に訪れたことがあるそうですが、私は…と言うと、近くに住みながら未だ行ったことのない未知の場所。12月13日(土)の過ごし方を計画している段階で、madoka32ちゃんに平等院訪問を提案し、結果、お付き合いいただくことになりました。

私たちは駐車場の関係で南門から入場することになりました。南門はとてもモダンで、本当にこが世界遺産の平等院鳳凰堂があるのだろうか…と思わす作りでした。入場券を入手する際、鳳凰堂の見学には別途費用が要ること(300円)、人数制限がある他、時間制で入場する仕組みになっていること、その日も既に待ち時間が発生しているとのこと等、説明を受けました。実際に鳳凰堂近くまで行くと、入場を待つ人々が時間を潰している風景が目に入りました。日没を迎えると鳳凰堂の写真すら撮れなくなる可能性も考え、今回は鳳凰堂への入場はパスし、外観を堪能することとしました。

平等院は1052年、藤原頼道によって開かれました。そして、鳳凰堂は阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂として翌年1053年に建立されました。皆さんもご存知の通り、十円玉にあるその鳳凰堂、私はその堂々としたる姿を想像していったのですが、本物を目にしたときの感想は案外と華奢な建物だ、というものでした。しかし、その見事なシンメトリー、池に映るシルエットは美しく、思わず溜息が漏れました。また、清楚に佇む中にも自己主張のを感じさせるその様子、これが千年もの歳月、日本の歴史を見てきた建造物なのか…と思うと、存在していること自体の凄さがじわじわと私の中に染み入って行き、驚愕に値するものとの理解に時間を経て至りました。十円玉一杯に彫られた平等院鳳凰堂は、その材質の影響もあるのでしょうか、私にはとても重厚感溢れる建築物との印象を与え続けてきました。それを念頭に来た為、少々イメージの変換に時間を取られましたが、最後には鳳凰堂は素晴らしく偉大な建物だという思いに行き着いたのでした。

今回は夕暮れ時に訪れた為、ぼんやりと建築物を眺めたり、また、中に入って阿弥陀如来を参拝するということは省略しました。極楽浄土を願う思いで作られた建物だからでしょうか、西日を受けるようにして立てられいます。そういうわけもあり、日没誓い時間に訪れた今回、逆行になって思うような写真が取れませんでした。また機会を見つけて、次回には太陽が鳳凰堂の後ろに回らない午前中に再度訪れたいと思います。

2008/12/16

MI:UJI

12月13日(土)、遂にMISSION遂行の日…。

madoka32ちゃんから、「もしかして12月に京都に行くかも」との連絡をもらったのが10月後半。その日からe-mailやskypeを活用して、「抹茶スイーツが食べたい!」という”madoka32ちゃんの主張”(笑)をメインに計画を練る。アウェイ(=私が東京に行った時)にて、madoka32ちゃんに会うことは今までに数回ありましたが、ホーム(=私の住んでいるところ)でmadoka32ちゃんに会うのは今回が初めて。若干の緊張感と共に(何故!?ホームに関東の友達を迎えるのは初めてだから!)、当日が来るのを首を長くして待っていました。

そして迎えた当日。私たちがテニスのレッスン後に合流し、一路、宇治へ。先ずは伊藤久右衛門に赴き、MISSOIN遂行。madoka32ちゃんは茶団子パフェ、ham君は抹茶ぜんざい、そして私は宇治抹茶パフェを食しました。私は今までに、抹茶テイストのスイーツをあまり食べたことがありません。ですから、今回の抹茶MISSIONは私にとっては新たなる世界への導きとなりました!?何故、抹茶系のスイーツを試したことがないか。それは、私が大のチョコレートが大好きだからです。ついついそちらのメニューに目を奪われてしまうのです。そんな私が始めて本腰を入れて頂いた抹茶スイーツ、それは驚くべき美味しさでした。しっかりとした抹茶の味、ほんのりした甘さ、甘すぎない上品さ、コーンフレークを入れてズルをしていない誠実さ。グラスの最後までゼリーや白玉が入っており、食べ進めるにつれて新しい味を楽しめる工夫。これらの素晴らしさを数え上げたら限がなく、これをわかっていただく為には、「是非、食べてみて!」と言う他ないでしょう。

桜かと思われんばかりの褒めようですが、本当に美味しかったのには違いありません。今回、こうやって新たなスイーツを試す機会をくれたmadoka32ちゃん、本当に感謝、感謝です。ありがとうね!

2008/12/12

土鍋でお料理

最近、私の中で土鍋を使ったお料理が流行っています。食器棚の中で活躍の機会を待つことが多かった我が家の土鍋でしたが、このところ食器棚の土鍋スペースは常に空いている状態。本当に大活躍しています。冬になり、寒さが身に凍みるようになってきたので、鍋料理が増えたのかと考えられた方もおられたかもしれません。しかし、そうではないのです。土鍋を使って煮物、ポトフなどの煮込み料理に凝っているのです。

このブームは、TVで観たことのある節約術をフッと思い出したことに始まります。土鍋の中に材料を入れ、ぐらぐらと沸騰するまではコンロにかけておき、その後はバスタオルにぐるぐるに包んで放置、という至ってシンプルなもの。一回目作ったのは豚肉と大根、人参の煮物でした。本当に放っておくだけなのに人参は柔らかくなっていたし、大根は中まで出汁がしみ込んでいたのです!通常の何倍もの短い時間しか煮込んでいないのに、この出来上がりには心から感激!美味しい上にエコロジー+エコノミーなんですもの!まあ、なんぼケチやねん、と言うこともできますが…。

そんなわけで、上述の成功体験が私の背中を後押しし、土鍋でのお料理ブームに火が付きました。その後、ポトフも作りましたが、これも楽をしているにもかかわらず、ジャガイモなんてほっくほくの出来上がり!何故今までこんなに素晴らしい調理道具の存在に気が付かなかったのでしょうか。大きくて洗うのが億劫になる、というのが土鍋軽視の原因だったとは思います。しかし、スピーディー且つ味も良い土鍋でのお料理を知ってからというもの、土鍋を洗うのも楽しく!?なりました。

2008/12/11

愛媛帰省 復路 11月29日(土)-12月1日(月)

愛媛の実家を出発する時、私は本当に淋しくて淋しくて…どうしようもなくなります。こんなふうに感じつつ、義理の両親に再会を誓い合えるとは、本当に私は幸せ者です。帰りに「帰るの淋しいな…」とお義母さんに言うと、「そうやね」とにっこり笑って、「でも、私たちにはきっとこの距離がいいのよ」と。

ham君は長男ですから、将来的には実家に戻るのかと、周囲の方々からよく質問を頂きますが、お義父さんとお義母さんは我々夫婦を自由にさせて下さいま す。私は、ham君のご両親も私の両親も同じように大切に思いますし、今も将来も放っておくことはできません。しかし、一緒に住むかと言われると これはまた別の問題だと思います(これは自分の両親でも同じことです)。毎日顔を合わせていることが、お互いを思いやることとイコールでは無い、と考え ます。距離が離れている方が、よりお互いを思いやる気持ちが育つのではないか、と思うからです。これはあくまでも私の持論です。ところが、これをお義母さんに話した ところ、お義母さんも同じような考えを持っていらっしゃることがわかりました。このように、お義母さんと私で嫁姑の話になると「いつまでも仲 良くいたいねぇ…」と言って下さいます。本当にありがたいことです。

勿論、最初のうちはお義父さん、お義母さんにどれくらい甘えてよいのか、どのくらい親しくお話させてもらえばよいのか量り兼ねていたというのが本音です。 しかし今となっては、不安があればお義母さんに相談しますし、また帰省の間も以前よりも甘えさせてもらうことができます。このような私をお義父さん、お義母さんが好ましく思って下さっているのか、気にして悩んでしまうことも正直言って未だにあります。しかし、私がどのくらいお義父さん、お義母さんを大好き か、これを私なりにお伝えするのが一番なのでは…と思うようになりました。そうするには私が猫を被らずに私であること、それが最も近道なのではないかと思いま す。お義父さん、お義母さんの前で自分が自分らしくいられるよう、そしてこれからも更にお互いに思いやれるそんな関係であれる様、私は努力をしたいと思います。

さて、ham君と私が、お義父さんとお義母さんのお家を出発する際、お義母さんが手作りのお弁当を持たせて下さいました。太刀魚とイカの塩焼き、玉子焼き、かしわの照り焼き、うさぎのリンゴ、ハム等々、沢山のおかずとおにぎりが入っていました。途中のサーヴィスエリアでham君と二人、綺麗な景色を眺めつつ頂きました。本当に美味しかったです。そして何よりも嬉しかったです。お義母さん、どうもありがとうございます。

おじいちゃんのみかん畑

愛媛のおじいちゃんとおばあちゃんとの再会を果たし、帰る道すがら、ham君がおじいちゃんのみかん畑を見せてくれました。ham君が子供の頃は敷地一杯にみかんの木があったそうですが、現在ではその殆どを切ってしまって、数本を残すのみとなっていました。おじいちゃんもご高齢になられ、なかなか以前のように畑を管理することが難しくなったから、というのが理由だそうです。白い囲いがしてある場所がおじいちゃんの畑です。この辺りではイノシシが出るそうで、それを除ける為にトタン板を使ってガードを作ったそうです。


今回、私たちは11月下旬から12月上旬に帰省をしました。この季節に帰省をするのは私にとっては初めてで、また一つ、新しい愛媛の顔を見たように思います。おじいちゃんのみかん畑が自動車の中からでも見られるように(自動車の中から写真を撮りました)、本当にあっちにもこっちにもみかん畑が広がっており、時期ということもありたわわにみかんがなっているのです。これは、みかん畑に乏しい場所に育ったみかん好きの私には、まさに夢のような光景でした。


おじいちゃんのみかん畑も、以前は上の写真の畑のように沢山のみかんを実らせていたのだろうな…と想像しつつ、帰路に着きました。

2008/12/08

愛媛のおじいちゃん・おばあちゃん

今回の愛媛帰省の最終日、12月1日(月)、ham君の父方の祖父母を訪ねました。何分、我々が遠方に居を構えている為、そうそう頻繁に帰省するわけにいかず、義理の祖父母には、可愛い孫であるham君との時間をなかなか持ってもらうことができず、申し訳ないことをしています。帰省の折には、できる限り時間を作って会いに行き、せめてものおじいちゃん・おばあちゃん孝行をさせていただければ…と思っています。

今回、義祖父母の自宅を訪問すると、おばあちゃんは洗濯の最中でした。おじいちゃんは山の畑に行っているとのこと。まるで昔話に出てくるような状況でした。

おばあちゃんは、昨年骨折にて痛めた足が完全には元通りになっておらず、現在では辺りの物を手で持って伝って歩いておられます。それでも炊事、洗濯等の家事を出来る範囲でこなしておられる他、週に2回はディサーヴィスに出向き、リハビリを受けたり、お友達との会話を楽しんだりしておられます。ディサーヴィスが無い日には、少しでも長く歩いていられるようにと、自ら進んで手押し車を押し、お散歩をされています。90歳前後という年齢を考えても体力的な辛いことは容易に想像できますが、出来る範囲とは言うものの、それでもなんとか自身で身の回りのことをこなせるようにと努力されているお姿を拝見して、非常に感動しましたし、私も習いたいと思いました。そのおばあちゃん、突然、連絡もせずにやってきた可愛い孫のham君に何かあげたくてあげたくて仕方なかったのでしょう。家のアチコチを見回して、柿とキウイを持って帰るようにと準備して下さいました。本当にありがたいことです。

おばあちゃんと半時間近くお喋りを楽しんだ後、おじいちゃんに会いに山の畑へ行きました。物凄く細く、入り組んだ坂道を上り下りすること暫し、おじいちゃん運転する軽トラックが視界に入って来ました。おじいちゃんは90歳を超えてなお現役のドライヴァー。軽トラックを運転して畑へ行き、作物を作っておられるのです。しかし、おじいちゃん曰く、年齢には流石に勝てないそうで、随分と作る作物の量を減らしたとのこと。それでも広大な畑を管理し、自宅で食べるお野菜等は作っておられるのです。おじいちゃんと立ち話をしていると話題が自然とおばあちゃんの足のことになりました。最近ではおじいちゃんも炊事、洗濯といった家事をされているのだそうです。「70年間、飯を炊いてもらっていたのだから、今度はじいちゃんが、ばあちゃんにお返しする番よ」と日常生活の様子を語って下さいました。その話を覗って、私は夫婦の歴史、その絆を感じましたし、また、お互いに思いやることの大切さを改めて知ったように思いました。本当に素適なおじいちゃんとおばあちゃんです。おじいちゃんの畑から帰る時、おじいちゃんも大切な孫のham君に何かをあげたくて仕方がなかったのでしょう。丹精込めて作られた大きな大きな玉葱を袋一杯下さいました。

*玉葱の大きさがわかるようにと、携帯電話を隣に置いてみたのですが…。

結婚して初めておじいちゃんとおばあちゃん宅にお邪魔した時のことを鮮明に思い出します。おばあちゃんが「ああ、私たちにもう一人孫が増えた」と、私の手を握って喜んで下さったのです。こうやって帰省の度に短い時間ですが義理の祖父母と時間を共有する中で、私はham君と結婚を通じて、おじいちゃんとおばあちゃんの孫にしていただけたことを心から幸運に思いますし、また、誇らしく思います。

2008/12/07

とべ動物園

11月30日(日)、ham君の弟のY君、その奥様のCちゃんと私たち夫婦で、とべ動物園に行きました。ご存知の方もおられるかもしれませんが、とべ動物園はホッキョクグマの人工哺育に全国で初めて成功した園として、とても有名なところです。飼育員の方が自宅にホッキョクグマのピース君を連れ帰り、家族の一員として育てられた結果、現在でも順調に成長をしています。そんなエピゾードを、随分前にTVのドキュメント番組で観て以来、一度は訪れてみたい動物園として、私の中に記憶されていました。これは本当にご縁としか言いようが無いと思っているのですが、私の夫となった人、ham君の故郷、愛媛がその動物園のある地だったのです。毎回の帰省では季節や天候の問題、あとはその他の予定との兼ね合いで、なかなか動物園に行く機会に恵まれませんでした。今回、新婚のY君Cちゃんと時を共にさせていただくににあたり、私の我儘を聞いてもらって、漸く待ちに待ったとべ動物園訪問という念願が叶ったのでした。

動物園の駐車場まではY君Cちゃんご夫妻の自動車で乗せて行っていただき、そこからは園の準備したシャトルバスにて入場口まで行きました。てっきり左上写真のライオン号に乗って行けるとはしゃいでいた私でしたが、我々が乗ったのは極普通の大型バスでした。

さて入場口に無事到着し、入場券を購入すると、驚くべきことに大人一人300円!京都動物園は大人一人500園、王子動物園は大人一人600円だったことを思い出すと、本当にこれだけで良いのだろうか…と思ってしまいました。しかし更に驚いたことには、Cちゃんが以前行った時には200円だったとのこと!100円、値上がりしてこのお値段!本当に驚きでした。

さて念願のピース君とのご対面は、なかなか叶いませんでした。ホッキョクグマの獣舎にはピース君ではない方がおられ、「今日は会えないのかな…」と諦めかけていました。山手に位置するとべ動物園、陽が当たっている間は暖かいのですが、陰ってくると寒くなります。段々と冷えてきて「そろそろ帰ろうか…」と相談をしていた時、熊さんが沢山いるコーナーを発見!ピース君と出会うことができました。万感の思い、とはこのことでしょうか…。本当に嬉しかったです。

ピース君はとても大きく、その白い毛はふわふわで、とても美しかったです。動物園の端っこにひっそりといたのは、どうやら持病のてんかんの為のようでした。ここからは推測に他なりませんが、きっと多くの刺激を避ける為、極力穏やかな生活をとの配慮なのでしょう。写真撮影についても、発作の誘発を防ぐ為、フラッシュの使用は禁じられていました。ですから、残念ながらぼんやりとした写真しか撮ることができませんでした。

今回のとべ動物園の私にとっての目玉は、もちろんピース君に会うことでしたが、他にも色々な動物がおり、また、来園者と動物が身近にやり取りを出来る工夫がアチコチに見られました。北海道の旭山動物園の取り組みを習って、とべ動物園でもより来園者が動物達の本来の姿を見て、またエンジョイできるように、最近では色々と考えられているとのことでした。

その一つはアシカのコーナー。ここでは100円で3匹のお魚を買い、自分たちでアシカに餌を与えられるようになっていました。餌を貰おうと、まさに動物園中に響き渡るような大きな声で鳴くアシカや、水辺からジャンプしたのか来園者が触れるくらいの近さまでやって来ているアシカもいました。 私たちが餌を投げると、どのアシカもナイス・キャッチ!器用に首を動かして魚を受け取ってくれました。こういう体験型のコーナーがあるというのは、とても楽しいものだと思いました。

その他には、スマトラオラウータが一際目立っていました。オラウータン舎には「森の遊園地」と呼ばれる仕掛けがありました。通常の獣舎から少し離れた位置にプレイエリアが設置されており、その両者が空中でワイヤによって繋がっているのです。つまり、スマトラオラウータのディディはワイヤを伝って、空中をお散歩できるようになっているのです。どうやら、お散歩の時間が決まっているようで、私たちがたまたまオラウータン舎を通った時がその時間だったようで、空中散歩目撃することができました。ディディはプレイ・エリアに居るときから、一本の木の枝をそれはそれは大切そうに持ってました。ワイヤを渡って獣舎に帰る際には両手が塞がりますから、どうするのだろうと思っていると、その特徴のある口にくわえてちゃんと持って帰って行きました。ワイヤを渡っている時には、モップさながらの毛がゆさゆさ揺れて埃が降ってきていました。

本当に楽しい楽しい動物園での一日、Y君、Cちゃん、お付き合いどうもありがとうございました。ham君、テンションが上がりっぱなしの私に代わって、沢山写真を撮ってくれてありがとう。お陰で皆さんに、とべ動物園の写真をお見せすることができました。

2008/12/05

お魚屋さん

11月30日(日)、愛媛に帰省して二日目の朝。

朝食を頂き、おでかけの準備をしていると、ピンポーンとインターホンが鳴りました。お義母さんが「お魚かな?」と言いながら玄関に出て行きます。「ああ、お魚やわ」というお義母さんの声。やはりお魚屋さんが来られた様子。これは見に行かねば!と、私もお義母さんの後を追って駆け出して行きました。愛媛の実家の辺りでは、近くの漁師さんが、その日の朝の漁で収穫した魚を軽トラックの荷台に積んで売りに来られるのです。

外に出て、軽トラックの荷台を覗いてみると、そこはちょっとした水族館でした!売り物の魚ですから水槽に泳いでいたり、ということは勿論ありませんが…。色々な種類の魚たちが発泡スチロールの中に入れられていました。そのどれもが鮮度は抜群!お義母さんがトングで魚を取ろうとすると、バタバタッ!と跳ねていました!その暴れ具合のあまりの激しさに、私なんかはすっかり驚いてしまいました。お義母さん曰く、今回は魚の種類、また量が少ないとのことでしたが、コウイカともう一種類のイカがいた他、イシガキダイにチダイ、カワハギ、くるまえび、カレイに舌びらめ、と何れも天然ものがズラリ並んでいました。我が家の近所のスーパーの鮮魚コーナーでは見ることの無いお魚も沢山いた為、私は大感激!「この魚は何ていうの?」と、一緒に買い物をしていたお義父さんとお義母さんに質問ばかりしていました。

その夜のご飯では、朝買ったイカのお刺身をいただきました。ワサビ醤油をちょこっと付けて口に入れると、イカの甘みがふわぁっと広がり、それはそれは美味しかったです。また、炭火でゲソを焼いてもらったのですが、驚くほどのやわらかさ。この様なことを書くのは申し訳ないことこの上なしですが、屋台のイカ焼きはもう食べられません。こんな素適な環境で育ったham君が本当に羨ましい!

お義父さん、お義母さんはお魚屋さんが来られる度にイカやカレイ、蛸に太刀魚等々を買って、その日のうちに処理をして冷凍をし、そしてある程度の量が溜まったらクール便で我が家に送って下さいます。我が家に送ってもらうイカなどをお料理をしようと解凍すると、そのままお刺身で食べても大丈夫なんじゃないか!?と思われる程です。ですから、私は自宅近くのスーパーで鮭以外の魚を買ったことがありません。なんという贅沢でしょう!お義父さん、お義母さんには本当に本当に感謝、感謝です。

*青色の矢印の先にある魚が舌びらめ。

2008/12/03

愛媛帰省 往路 11月29日(土)-12月1日(月)

11月29日(土)より12月1日(月)まで、二泊三日の行程で愛媛の実家に帰っていました。今回は義理の弟Y君が結婚してから初めての帰省でしたから、Y君とそのお嫁さんのCちゃんと過ごす時間を随分前から楽しみにしていました。そいういうわけで当日、29日の朝は心躍らせながら自宅を出発。

楽しい帰省のはじまり、はじまり。

今回は往復とも自動車を利用しました。自宅を出発して直ぐに「疲れたら運転交代するからね!」とham君に言った途端、「余計に疲れるからいい」と返答。若干、出鼻を挫かれた感は拭えませんでしたが、気を取り直して一路高速道路へと向かいました。さて、ここからが本番とばかりに順調にスピードを上げるham君。周囲の自動車の流れに乗ってスイスイと進む最中、「トイレ休憩お願いします」と私。「出鼻を挫かれるとはこのことやね…」と言われてしまいました。…お互いに出鼻を挫きあって、これでお相子。

桂川PAを出てからは、龍野西SAで休憩をするまで二人でアレやらコレやら色々とお喋りをしながら自動車を走らせました。前に走るキャリアカーに乗せられたパトカーを見ては、「あのパトカーは何か?」「納車の途中か?」など話し合ったり、隣を走る三菱コルトにギッシリと5人乗っているおじさん達を見てイマジネーションの世界を楽しんだり…、山々の紅葉を愛でたりと楽しい時間でした。たまには夫婦二人で長距離の自動車旅行も良いかもしれません(ham君は疲れてしまうので申し訳ないですが…)。

そうこうするうちに、時間は過ぎ去りお昼時に。龍野西SAにてランチを取ることにしました。自宅から積んで来た食料に、神戸の中華街の豚まんと称して販売されていたものを買い足し、頂きました。さすがは中華街の豚まん、美味しかったです。

龍野西SAはそれ程大きくはありませんでしたが、広場には沢山のイチョウの木々が美しく紅葉していました。数年前に清水寺の紅葉のライトアップを二人で観に行き、境内に入るまでに長蛇の列に並ぶ羽目になって以来、紅葉を観に行くという計画を立てなくなった私たち。今回、思わぬところで山吹色の木々に出会い、久々に二人してのんびりと「秋」を楽しむことができました。

龍野西SAを出発して以降、美味な豚まんと綺麗な紅葉ですっかり上機嫌になった私。自動車の中で秋の歌を高らかに合唱。レパートリーが尽きると、次はクリスマス・キャロルと、ham君が呆れる程、お歌を熱唱しました。その後、久々の大合唱に疲れたのか、私は暫し睡眠と言う名の意識喪失状態へ。ham君に起こして貰い、意識回復した時には既に海の上、つまり瀬戸大橋を渡っていました。窓の外に広がる青い海に目を奪われながら、「嗚呼、またしても眠ってしまった…」と後悔の嵐でした。

その後も…自責の念に駆られつつも…、起こして貰ったにもかかわらず…、懲りずにうつらうつらと白川夜船。気が付いたら半分以上瀬戸大橋を渡っていました。ham君の提案で、私の眠気を覚ます為に瀬戸大橋唯一のPAがある与島へ寄り、休憩を取ることにしました。そこには展望台がありましたから、上がって景色を楽しむことに。確かに見晴らしは良く、素晴らしいものでしたが、生憎の強風、長くはいられませんでした。

幸運なことには与島PAにて、私たち夫婦が「天使が降りて来ている」という表現をする情景を目にすることができました。このネーミングは、我々が知り合い、まだお付き合いをしていない頃から、お互いの間で呼び合っていたもので、二人ともお気に入りの自然現象(自然現象と呼ぶ程、大袈裟なものでもないのですが…)です。ルネサンスの頃の宗教画で天使がラッパを吹きながら飛んでいる絵画があると思うのですが、私はこの現象にその様なイメージを持っているのです…。暫しの間、この情景を楽しんでから、残り少なくなった道のりを行く為に再び自動車に乗り込みました。

その後、今治の義理の叔母宅へ向かい、叔母と小一時間の楽しいお喋りの時間を過ごしました。そしてその後に漸く愛媛の実家に到着。疲れただろうから早く床に入るように、と気を遣って下さるお義父さん、お義母さん。ところが、私はお義父さん、お義母さんと一緒にいたくて…、お喋りをしたくて…、ついつい夜更かしをしてしまったのでした。

2008/11/28

Grazie!#3

私の義理の弟妹のY君とCちゃんの新婚旅行のお土産、既に幾つかを紹介したのですが、今日は「イカ墨ソース」をご紹介します。Grazie! #2の「ペペロンチーノ」と同様に「パスタの素」(!?)です。遥々イタリアより持って帰って来てくれました!ありがとう!

先週の土曜日(11月22日)の夕食にと、ham君と二人でパッケージに添付されていた日本語レシピを頼りに準備を開始。調理は架橋、さてソースとパスタを絡めて…、さあ、できあがり!という瞬間、念の為のお味見をしたham君…。「akou、味がない…」と、一言。私も一口頂くと、確かに味がありません。二人してもう一度レシピを読みましたが、私たちが執り行った料理の手法に間違いはありません。そこで、勘だけを頼りに、塩とパルメザンチーズを加えて何とか「イカ墨ソース」に近付けることができ、美味しく頂くことができました。

しかし…何故!?という疑問は増す一方。食後に再度パッケージを確認しました。しかし、やはり私達の取った手続きは正しかったことが判明。そこで日本語レシピに頼るのは辞めて、横文字で書かれている方へと目を向けました。せめて英語レシピがあれば…と思ったものの、全てイタリア語。怯みましたが、心を強く持って訳することに決めました。

原文は次の通りです。

Mettere un cucchiaio di olio e un cucchiaio del nostro prosotto a porzione, in un tegame, far leggermente soffriggere e aggiungere della passata di pomodoro. Far cuocere per circa 20 minuti e poi amalgamare li tutto con la vostra pasta, cotta a parte. Aggiungere, a piacere, parmigiano o del buon pecorino.

インターネット上で「イタリア語⇔日本語」の辞書を探し、なんとか単語単位で意味を引いてみると、次の様な意味が書かれていると推測されます。希望的観測を交えた訳であることを先にお断りいたします。イタリア語がわかる方がこの記事を読まれましたら、アドヴァイスいただけると幸いです。
  1. 浅めの鍋に匙一杯のオリーブオイルを入れ、本製品一人前を加え軽く炒める。
  2. 1.にトマトソース(トマトピューレ?)を加え、約20分煮詰める。
  3. 2.にパスタを入れ、かき混ぜながらさっと炒める。
  4. 3.にパルミジャーノやペコリーノチーズ等、好みのチーズを加える。
この様に訳した後、インターネットで「イカ墨ソース」のレシピを検索してみました(何故、先に日本語のレシピを探さなかったのでしょう…)。その結果、やはりトマトは入れるようでした。これはペーストだったり、カットトマトやホールトマトだったり、トマトソースだったりと、人それぞれの方法がある様でした。また中には、チーズを入れているレシピもちらほら見られました。

せっかくお土産に頂いた「イカ墨ソース」、もう少し早くイタリア語に立ち向かっていたら!もう少し早くインターネットで様々なレシピを勉強しておけば!間違いなくもっと美味しい「イカ墨ソース」のパスタを頂くことができたのに…と思うと残念でなりません。

しかしながら、実りの多い夕食だった、と言えると思います。今回、久しぶりに辞書(インターネットですが)と首っ引きで外国語を訳しました。新鮮でした。そして「あれ!?私、こういうこと好きかも!?」と、自分の興味の方向生を再確認したように思います。そして何より、初にイタリア語と向き合い、どうやら男性名詞と女性名詞がの存在、また、冠詞や語尾に変化が生じるようだ…などという、実にややこしいルールがあるかもしれないことを発見。ドイツ語を勉強していた頃を非常に懐かしく思い出しました。

目の前に新しい小道を発見したような、そんなお得な「イカ墨ソース」との格闘の夕べでした。

2008/11/27

読書順調継続中

森博嗣氏の小説、順調に読み進んでいます。

只今、Gシリーズを読書中です。何れのシリーズも登場人物が非常に強烈な為、次のシリーズに入った時に物足りなさを感じますが、そこでも個性的なキャラクターに出会い、徐々に徐々にと新シリーズに没頭していく始末。今回のシリーズでは、それまでのシリーズでの登場人物も出てきます。一連のシリーズの総まとめ的な終焉に物語が向かっているのでしょうか。