2009/01/31

ボレー

ボ レーが「ヘン」とよく言われます。それも何人もの人に言われます。先週土曜日のレッスンでも「ヘン」と言われました。コーチにどこが「ヘン」なのか聞いて みると、「グリップ」が「ヘン」と。愕然としました。まさかラケットの持ち方から「ヘン」だったとは夢にも思っていませんでした。テニスを始めて3年、せ めて持ち方くらいは何とか様になっているだろうと思っていたのに、です。早速コーチに教えてもらい、正しくラケットを持つことができたと思いきや、ボレー の練習終了。私がガックリと肩を落としたのは言うまでもありません。

そして迎えた本日土曜日。テニスのレッスンではボレーの持ち方に集 中!しました。先週、itoコーチに教えてもらった持ち方、今まで散々itoコーチがアドヴァイスくれていたこと、また、昨年MIDにてdoraコーチに 教えてもらったことも一緒に思い出して練習しました。私のボレーが先週よりも上手になっていたら良いのですが…。意識して練習に望んだだけでも少しは進歩 した、と思いたいものです。

さて、自宅に帰ってから、「正しいと思われるボレーの時のラケットの持ち方の図」をham君に頼んで写真に 撮ってもらいました。オレンジ色の点線で書いてある部分が、右手の親指と人差し指の間くらいに位置すると良いらしいです。それを更にわかりやすく写真に 撮ったものを次にupします(かなり手に力が入っていますが…)。何回もコーチに教えてもらっていながら、まだ身に付いていないとは、本当に情けない限りです。次から忘れないように、今回は写真で残すことで視覚的にも記憶に収めておきたいと思います。来週の土曜日、この記事が活きていますように!

2009/01/30

今までに読んだもの

最近、三谷幸喜氏の本ばかり読んでいます。
一人の作家さんの本を集中して読むと
どれを読んだかわからなくなる
そんなことないですか?
私だけでしょうか…。
覚書の為に、読んだ本をupします。



みかんの素発見!

みかんを食べるときには、愛媛県出身のham君の言う通り、おへその方から皮を剥くようにしています。なんでも、そうすると薄皮がきれいに剥がれるのだそうです。

みかん星人の私は、昨日もham君の教えに従いみかんを剥いていました。すると、みかんの底に何やらオレンジ色をした怪しい物体があります。目を凝らしてよく観てみると、何と!それは!小さなみかん!?剥いたみかんの皮にくっ付いている「ソレ」に、顔を近づけてもう一度観てみました。やはり何だか小さなみかんっぽい。試しに少し齧ってみました。「ソレ」は大きなみかんほど美味しくなく、皮の味がしましたが、みかんの味もしました。うーん、これはやはり小さなみかんなのか…。いや、もしくは「みかんの素」なのではないか…。もし、「みかんの素」だったら…、大きなみかんを食べた後、「みかんの素」を皮の中に包み、あたかも剥く前のみかんのようにしてみかん箱の中に入れて置く。と…翌日、そこには大きなみかんが出来ている!ああ、なんて素適!そうすれば、毎日一つずつ永遠にみかんを食べることが出来る!みかん星人としてみれば、こんなに嬉しいことはありません!

夜、ham君にもこの発見を報告、実物まで見せました。ところが!ham君は「あー、”はれひめ”だからじゃない?」と、非常にクールなものでした。肩透かしを食らう、とはこういうことをいうのかしら…。

  • ”はれひめ”は、清美タンゴールとオセオラ(オレンジ)を交配させたものに、宮川早生を交配させてできた品種だそうです。2001年10月に命名登録された新しい品種ということです。味は、ネーブルオレンジを思わせるさっぱりとした甘みが印象的です。

2009/01/29

最近の流行

私の読書に「流行」が存在することを、このblogにお付き合いして下さっている方は既にご存知なのではないかと思います。それは、誰か一人の作家さんの本を気に入ると、暫くはその作家さんの本を集中的に読むというものです。先日までは森博嗣氏のミステリに没頭していました。最新作まで読み終わり、一息ついたところで図書館に足を運びました。そして、何気なく三谷幸喜氏のエッセイを手に取りました。これを読んでみると面白い!時にはアハハと声を立てて笑ったしまうこともあるほどです(勿論、自宅で)。最初に借りた一冊はあっと言う間に読み終わり、その次に図書館に行った際、また何冊か借りて帰って来ました。どれもこれも、日常の生活のアレコレを綴ったものなのですが、その視点が実に愉快!ユーモラスなのです!これは流行りそうです。というか、既に流行っています。そして、暫く続きそうな雰囲気です。

2009/01/28

自転車に乗ったら…

最近、お出かけの際には、なるべく自転車を使うように心がけています。何故かと聞かれると、環境の為、家計の為、安全の為と様々な理由があるのですが、その中でも実に野心的なものに、私自身のモデルチェンジの為というのがあります。少しでもカロリーを消費できればと思っているのです。

今日も良いお天気でしたから、心と同様に足取りも軽やかに自転車に乗って図書館に行って来ました。暫くの間、図書館がお休みになるということでしたから、色々な分野から合計17冊も本を借りました。早速、開いてみたい本もあります。早く帰ろうと「よいっしょ」と自転車の前の籠に本を詰め込んで、意気揚々とペダルを漕ぎ始めました。

図書館を出て暫く走っていると、「パーンッ」という大きな破裂音が聞こえてきました。「誰や~?」と思っていると、すかさず自転車の後輪がガタガタガタ…。「私やん…」。

ちょっとした段差を超えた際にパンクしたらしく、私の自転車の後輪は見事にぺっちゃんこになっていました。図書館から自宅まで半分くらいの所での出来事でした。仕方ありません、そこから一番近い自転車屋さんまでパンクした自転車を押して行きました(自転車屋さんと自宅は目と鼻の先)。自転車を押している姿ほど哀れなものはない、と日ごろ思っている私です。なんだか早足で移動している鳥を連想して物悲しくないですか?実際、すれ違う人々にチラッ、チラッと視線を送られるのを感じました。

漸く自転車屋さんに着いたと思いきや店主がどこにも見あたりません。TVは付けっぱなし、ドアは開けっ放し、ストーブは付けっぱなしのままです。大声で「こんにちわ」と言うも返答はなく、途方に暮れていました。すると、スーパーからアイスクリーム片手に、「あー、はいはい」と小走りで近付いてくるオッチャンが。店主でした。大丈夫なのだろうか…と要らぬ心配をしつつ、修理をお願いしました。すると、「ホンマは4500円のところ、4200円にまけとくわ!うちのは国産のタイヤやで!」と、オッチャン。この値段が安いのか高いのか私にはわかりません。選択肢もありませんでしたし、「お願いします」と修理を依頼。「30分程かかるわ」とのこと。近くのマクドナルドに行き、バニラシェイクを飲むことにしました。

30分超の後、自転車を取りに戻ると、店内ではまだオッチャンは自転車と格闘しておられました。「ははーん、アイスクリームを食べてから修理し始めたな」と思いましたが、ここは謙虚に待つことに。オッチャンはタイヤがいかに朽ちていたかということを説明してくれました。それもその筈です。私が高校生の頃から使っている自転車ですから。するとオッチャンは「この後ろのタイヤは換えるの2回目やな」と言うではありませんか。もちろん、オッチャンに自転車を直してもらうのは初めてです。どうしてわかったのでしょうか。恐るべし、自転車屋さんのオッチャン!です。

そんなわけで…タイヤはすっかり直り、私の自転車ライフは続く見込みです。長々と書きましたが、要するに「自転車に乗ったら、パンクした」ということが言いたかったのです。

青春白書

中学生だった頃、トム・クルーズを格好いいなと思っていました。熱烈なフアンだったわけではないのですが、当時、上映された数本の映画は観た記憶があります。このことを話すと、「じゃあ、『青春白書』ってしってる?」と聞かれることがこれまでに幾度かありました。トム・クルーズの出世作品となった一作なのだそうです。聞かれる度にその映画について気にはなっていましたが、特に観ることもなく日々を過ごしました。

最近Gyaoの映画欄をチェックしていて、『青春白書』という文字に目が留まりました。「ああ、そういえば…」と思い出し、観てみることにしました。「ああ、なるほど…」と思いました。私に『じゃあ、『青春白書』は観た?』と聞いてきた方々が、どうしてあんなにも共感を求める視線を送ってきたのか、漸く理解することができました。あの時に、わかってあげられなかった方々、ごめんなさい。今の私ならば、一緒に思いを噛み締めることができると思います。

話は変わって、この映画のタイトルの邦訳について。この訳はどう理解すれば良いのでしょうか。深い意味を込めてこのタイトルにしたのでしょうか。どうも『青春白書』と耳にすると、『ビバリーヒルズ青春白書』のイメージが先行し、”青春ドラマ”と思ってしまいます。確かに『青春白書』も、青春時代のエピソードを取り扱ったものには違いありませんが、私の想像の範囲を遥かに超えていました。映画の最初の方に、画面に『Risky Business』とあった時に、「あれ?これが原語のタイトル?」と一瞬不思議に思ったのには思いました。しかし、残念ながら余り深く考えずに画面を勧めてしまいました。そんな自分に今更ながらガッカリです。しかし先に原語のタイトルをちゃんと知っていたら、間違った先入観なく映画を鑑賞できたのでは…と思えるのも事実です。

2009/01/27

次が楽しみ


『Gシリーズ』、実は去年の年末には既に読み終わっていました。
新たな登場人物が出てくると同時に
『S&Mシリーズ』、『Vシリーズ』の登場人物も登場します。
登場人物同士の関係が徐々に明らかになってはいるのですが
核心にはなかなか迫らない、そんなストーリー展開でした。


『Xシリーズ』も年末年始に読み終わりました。
このシリーズでも、新たな人物達が登場します。
『Gシリーズ』同様、これまでのシリーズの登場人物も出てきます。
そして『S&Mシリーズ』、『四季』と同じ時間軸上に
それらの未来において、新たな物語が進んでいきます。
その進み様は、「真賀田四季」の周辺の断片を紡いで
一つの大きな物語へと導こうとしているかに思われます。

現在、出版されている森博嗣氏の本は
これで全て読み終わりました。
先が知りたくて仕方のない今日この頃です。

おからクッキー

年末に体調を崩し、今まで自分が如何に食べ過ぎであったかを痛感しました。年始、「かまくら作り」に行き、mitz隊長が食事を見直して見事にモデルチェンジされている様子を目の当たりにし、如何に私の食生活が乱れたものかを知りました。10日間余りの間に、自身の食生活について振り返るチャンスを、2回も与えられました。気が付けば私も良い大人です。これから待ち受けているであろう私の将来、この与えられた時間を如何に楽しめるか。楽しむには先ず、何をおいても健康であることが大切です。今から食生活を見改めて、健やかであろうとすることは決して無駄ではない筈です。

昨日、食事だけではなく、おやつも健康的しては如何なものだろうと思い付き、『おからクッキー』を作りました。焼きあがったクッキーを食べてみると、先ずは「おから」の触感と味が口の中に溢れ、その次にココアの香が仄かに感じられました。とても噛み応えがある上に、腹持ちがするので、どれだけ沢山食べようと思っても、一度に5枚が限界でした。

夜、クッキーをケーキクーラーの上に出しておくと、ham君が「馬○ンクッキー、片付けないとダメになってしまうよ」と親切に声をかけてくれました。ええっ!なんですってぇ!ええ、私も焼きあがったクッキーを前にして、「動物園のふれあいコーナーとかに置いてある餌みたい…」と思いました。しかし、「馬○ンクッキー」とは!と思いつつも、「ええ、確かに」と頷く自分もいたのでした。

食を見直す、いと奥深し。

2009/01/22

かまくら #2 かまくら日和

今 年は天候に恵まれました。上を見上げると、木々の間から青い空が目に眩しい、そんな「かまくら日和」でした。20代前半の私は、特に10代の頃は雪と青 空、否、雪さえあれば天候がどうであれ、ゲレンデに出てスキーをしたい、その一心でした。しかし、「かむる~ぷす」で「かまくら作り」に出会ってからはど うしたことでしょう!こんな「スキー日和」だったのにもかかわらず、私の心の中にゲレンデへ思いは微塵もありませんでした。

昨 年より、お昼ご飯は山から降りて来て「かむる~ぷす」でいただいています。ですから、20分程度の山登りを午前中に1回、午後に1回、そして夜に1回と、 合計3回、することになります。ということは、勿論、3回の降りも経験できるわけで、内、夜を除いた2回はお楽しみのスノーシュー・ダウンヒル。新雪でふ かふかの道なき道、それを一気に駆け下ります。これが何と言っても楽しい!初めてこのダウン・ヒルを経験した時は、雪に足をとられてしまい、転がり落ちる というイメージに近い有様でした。しかし、年一年と回数を重ねるに従い、段々と「駆ける」イメージに近付いてきたように思われます。そして、今年は初めて 一度も転ばずに駆け下りることができました。それだけに留まらず、降りる前には、今度はどんなコースを取ろうか…等と考える余裕すらあったのには自分でも 吃驚!ヤミツキです。私の駆け下っている格好がどんなか、はあえて触れません。

今 年の「かまくら作り」は生憎の雪不足でした。かまくらの壁に葉っぱが混じることもありました。過去にも一度、そのような年がありました。今年もその時と同 様に、周辺より雪の塊を切り出して来て、これを積み上げる、そんな作業となりました。アズミノペンギンドーさんのノコギリ裁きが一際光っていました。我が 華香ママから託された「平和堂」のシール付きのスコップも、ham君の手により活躍の場を得ました。間接的ながらも参加した華香ママ、彼女も本望だったの ではないでしょうか。私は…と言えば…かまくらのてっぺんにて、mitz隊長とヨガ。木のポーズ。森の精霊に感謝の意を表しました。しかし、どうでしょ う!mitz隊長の足の上がりよう!1年間のジム通いと、健康を考えた食事の成果が現れたり!です。それに比べ、隣の私は…情けなし…。隊長に習い、早 速、食環境を見直している今日この頃です。

時 計の針が夜の22時をさす頃、ペンション「かむる~ぷす」の中は俄かにあわただしくなります。シャカ、シャカ、シャッ、シャッ、という音で溢れかえりま す。そう、「かまくら~な人たち」全員がいそいそとスノーウエアに身を包み、夜の森に入っていく準備を始めているのです。一人、二人と準備が整った者から 外に出てます。全員揃ったら点呼、そして出発。この夜は満月でした。月の光はとても明るいことに驚きました。自分の影を見ながら、時折、空を見上げながら 登ります。

「か まくら」に到着すると、先ずは蝋燭への点灯式。月の青くキリッとした光に加え、温かみのあるオレンジ色の灯りが、次々と「かまくら」の周囲を包みます。そ して、最後に「かまくら」の中にも一つ。そして、その灯りを大切に囲むようにして「かまくら~な人たち」が座ります。「かんぱ~い」の合図をもって、楽し い時間のはじまり、はじまり…。

「かまくら」の中では「かむる~ぷす」のオーナーぽれぽれさんご自慢のお手製生ハムはもちろん、「かまくら~な人たち」が夫々に持ち寄った、ふるさとの特産品を味わいます。そして、これまた美味しいふるさとのお酒。五臓六腑にしみわたる、とはこのことか…という瞬間の連続。

こうして夜は更けていきます。

「かまくら」からの帰り道の風景も最高でした。
森の精霊に感謝!

2009/01/19

かまくら #1 多治見修道院

我が家の年中行事となっている「かむる~ぷす」の「かまくら作り」、もちろん今年も参加させていただきました。過去の我が家のアルバムを調べたところ、私たちが始めて参加させていただいたのが2005年でしたから、今年で5回を数えることとなりました。私にとって「かむる~ぷす」は言葉で言い表すことが出来ないくらい大切な場所。今回、1年ぶりに「かむる~ぷす」の玄関に入り、思わず口を衝いて出た言葉が「ただいま」でした。

「かむる~ぷす」に辿り着くまでには、長い長い自動車の旅が待っています。今年は、昨年末に装着したETCの料金割引を活用する為、2回、高速道路から降りる必要がありました。そこで「どうせ降りるなら、何か面白いことはないかしら…」と、長距離移動の合間を楽しむ計画を練ることになりました。そして見つけたのが、『神言会 多治見修道院』。調べたところ、見学も可能とのこと。満場一致!?で予定が決定したのでした。

『神言会 多治見修道院』は1930年(昭和5年)、カトリック神言修道会宣教師モール神父によって建てられました。修道生活と邦人会員の養成を目的とし、日本管区の中央修道院として位置付けられ、最初の30年間は日本での神言修道会の本拠地としての機能を果たしていました。修道院の敷地内の墓地にも何人もの外国の方の名前が見られましたが、当時は海外からも大勢の宣教師の方々が布教の為に派遣されており、修道生活を送る傍ら日本語の勉強をされていました。その後、神言会は布教活動を拡大し南山大学を設立、活動の拠点は名古屋へと移されていきました。『神言会 多治見修道院』は現在では、南山大学の神学生が1年間の修練をする場所として使われています。

我々が訪れた日、『多治見修道院』内にある『カトリック多治見教会』では、結婚式が執り行われていました。本教会は『神言会 多治見修道院』の開院時から修道院内にありましたが、一時は別の住所に移転。再び本修道院内に戻ってきたのは1978年のこと。その後は、修道院の聖堂と一部施設を使用し、市民に開かれた教会として親しまれているようです。この日も、カトリック教徒ではないカップルの結婚式でした。結婚式が行われている間は、教会内を見学できませんでしたから、修道院の敷地内にある葡萄畑を散策しました。『多治見修道院』では1933年から、地下室でワインが造られています。ワインの輸入ができなくなった第二次世界大戦中とその後暫くは、日本全国の教会で多治見修道院のミサ用ワインが使われていました。その歴史あるブドウ畑は一面に広がっていました。夏には全体が緑色の葉っぱで覆われ、さぞかし美しいことだろうと想像を掻き立てられました。そして、葡萄の葉っぱでできたアーチの下を歩いてみたいものだと思いました。

結婚式が終わったのを見計らい、『カトリック多治見教会』を見学させていただきました。美しいステンドグラスの窓から入る光が照らしていたものは、イエス様の一生を壁に描いた絵の数々でした。絵毎に仕切りが作られ空間が設けてありました。また、椅子も容易されていました。教会の正面には高く弧を描いたドームがあり、その真ん中には平和の象徴である鳩が飛んでいました。木造建築のカトリック教会を見せてもらったのは今回が初めてでした。重厚感溢れる石造りの教会とは全く異なる印象を受けました。和洋双方の文化を感じるとでも言うのでしょうか、エキゾチックな空気が流れているように思いました。『多治見修道院』内には日本庭園が存在しますが、これを合わせて考えると、ここにいらっしゃった海外からの神父様や修道士さん達は、自国の宗教を広めようとすると同時に、日本の文化にも触れようと努力して下さったのでは…と思いました。

ETC割引を思う存分活用しよう!という目論見が無ければ立ち寄ることのなかった『神言会 多治見修道院』、これも一つの巡り合わせと呼んで良いのでしょうか。そこはかとなく漂うみみっちい空気が気にならないわけではありませんが、多治見インターチェンジで降りて、我々が非常に有意義な時間を過ごせたことは間違いありません。

2009/01/15

年末 金沢旅行 #7 素適な建物たち

金沢の街をぶらり歩いていると、そこここで素適な建物と出会うことができます。建設当初の役割を終え、ギャラリーとして公共にその活躍の場を移した建物が多いようですが、日々の暮らしの中で現役バリバリで使われているものも少なくありません。

ガイドブックにも載っていた『ギャラリー三田』。通常の町並みのなかにポツネンと佇んでいました。1930年(昭和5年)に建てられた洋館で、文化庁登録有形文化財に登録、また、金沢市指定保存建造物に指定されています。この建築物は昭和初期の洋館建築を忠実に修復しています。我々が近くを通りかかったのが、ちょうど街に灯りがともり始める頃でしたから、残念ながら建物に施された装飾などは良く見ることが出来ませんでした。また、次のスケジュールの関係で近くまで歩み寄る時間も少なく、遠くからの見学に留めました。ギャラリーの窓から見える温かみのある灯りが、とても素適でした。

『金沢文芸館』もガイドブックに載っていた建物の一つです。この建物も文化庁登録有形文化財に登録、また、金沢市指定保存建造物に指定されています。1929年(昭和4年)に建築されました。当時は銀行だったそうです(旧・石川銀行橋場支店)。それを金沢市が修復し、文芸館に生まれ変わりました。インターネットで調べたところ、この建物の建築様式は「簡略化された擬ルネサンス様式」なのだそうです。『ギャラリー三田』を訪れたときよりも、更に夕闇に包まれた時間に通りかかりました。ガイドブックには昼間に撮られた写真が掲載されていますが、夜に見る『金沢文芸館』も素適でした。

『ひがし茶屋街』の中にあった建物です。『自由軒』と建物に書いてあったので、自宅に帰ってから何の建物か調べてみました。すると!なんと!レストランだったのです。1909年(明治42年)の創業以来、受け継がれてきたレストランなのです!『ひがし茶屋街』に行ったその時に、この事実を知っていたとしても、私たちは近江町市場にでたんまりと海の幸をいただいた後でしたから、お腹のスペースは皆無、他に何かを食することはなかったと思います。しかし…『自由軒』、レストランだったのですね…。それにしても…残念!です。ここでお食事をしてみたかったです。

これも素適な建物です。確か…『ひがし茶屋街』からの帰り道に渡った交差点の角にあったと思います。「あっ!素適!」と思い、思わずシャッターを切ったのは良かったのですが、何の建物か全くわかりません。この記事を書くにあたり、ガイドブックやインターネットで手を尽くして調べましたが、残念ながら何のヒントも得られませんでした。シンメトリのフォルム、そして窓の感じなどがとてもシンプル。そして、そこから見える白いレースのカーテン。お部屋の中はどんなふうになっているのだろう…と想像(妄想!?)を掻き立てられます。電信柱があり、電線が張り巡らされた、日本らしい空の下に建つ小ぢんまりとした一軒の洋館。和の中にある洋、洋なのだけれども和をほんのりと伝えるこの建物。とてもエキゾチックに感じるのは私だけでしょうか。

最後は日本家屋をご紹介します。これも上記の洋館と一緒で、気まぐれにシャッターを押した一枚。あまりにも佇まいが素適だったので、建物好きの私としては撮らずにはいられませんでした。ちらりと見た感じではお薬屋さんのようでした。ご家族で経営されているのでしょうか、どうやら1階部分がお店で、2階、3階は自宅として使用されているように見受けられました(勝手な想像…妄想!?です)。それにしても素適な建物だとは思いませんか?

去年の1月に訪れた時よりもお天気が良かったこともあり(私たちの旅では珍しい!)、あちらこちらをブラブラと歩く機会に恵まれました。そしてわかったことは…、素適な建物がとても沢山あること!とても楽しい時間を過ごすことができました。

年末 金沢旅行 #6 『ひがし茶屋街』

通 常は「一見さんお断り」のお茶屋さん、ところが『ひがし茶屋街』には見学できるお茶屋さんがあります。最初は「時間があれば行こう」程度に話していたので すが、お茶屋さんに上がれるとあっては、『ひがし茶屋街』の優先順位は急上昇(私だけ?)。建物好きの私には外せないスポットとなったわけです。

金沢には「まいどさん」と呼ばれる、ボランティア観光ガイドの皆さんがおられます。我々が『ひがし茶屋街』で最初に訪れた、江戸時代末期の町やを復元した『ひがし茶屋休憩館』にも、とても気さくな「まいどさん」がいらっしゃり、館内を説明して下さいました。

そ の説明で驚いたのには、道に面した戸。驚愕のあまり、写真撮影まで頭が回らず、説明を私の文章力のみに頼る他ないのが残念です。さて、日本家屋では引き戸 で、これが戸袋に仕舞われるスタイルを思い浮かべられる肩が多数なのではないかと思います。私もそうだったのですが、『ひがし茶屋休憩館』の戸は違いまし た。三枚の長方形の板が横向きに天井から床まで並んでいて、これを開ける時にはシャッターを開けるように、下から順にスライドさせて行き、天井付近の戸袋 に仕舞うというものなのです。これだと下だけ開けて風を入れるなど、調節が出来たわけです。わかりましたか?わかりませんよね…。無念。休憩間にはこの扉 の他にも、とっても素適な収納がありました。それは階段の下を利用した箪笥。戸の構造もそうですが、昔の知恵、現代でも十分に新しいです。

「ま いどさん」の説明がとても丁寧で、本来の目的地である『志摩』に着いたのは暫しの後。ですが、古い建築物についての詳しいお話を聞けたことはとても貴重だったと思います。古民家や町屋、茶屋街といった文化的に価値の高いものを、少しでも良い状態で残そうとしておられる様子が垣間見られ、その努力には頭が下がる重いでした。

さて、1820年(文政3年)に建てられた『志摩』は、典型的な『ひがし茶 屋街』の造りを江戸時代のまま残されているとのこと、パンフレットに記述がありました。勿論、安全面を考えてあちこち手を加えられている部分はあるのでしょうが、その風情のある佇まいは、まさに!一見の価値あり!でした。その中でも私が心惹かれたのは照明器具でした。各部屋、廊下の方々にある灯りのその素晴らしいこと!それぞれに趣向がこらしてあり、見惚れてしまいました。以下にそれらの写真をご紹介したいと思います。『ひがし茶 屋街』での時間、思う存分に楽しませていただきました。





2009/01/14

年末 金沢旅行 #5 『近江町市場』

昨年のお正月に金沢を訪れた際にも行った近江町市場、市場好きの私はどうしても、どうしても行きたかった場所です。ところが、昨年のお正月は、お正月なのですから当然と言えば当然なのですが、市場はお休み。心躍らせながら向かった私は、閑散とした市場を目に、がっくりと肩を落として帰りました。今回、一泊二日の宿泊券が当たったのは、この時の「しょんぼりakou」を哀れんだ神様のお計らいだったのでは!?と密かに思ってしまうほど、まさに「近江町市場ツアー」の為の旅行券となりました。

どこの市場に限らず、市場好きの私。だからといって何かを大量買いするわけでも、目的のものがあるわけでもありません。ただ、活気溢れる人々の間を、珍しい食べ物を見て回るのが楽しくて仕方がないのです。特に魚を見て回るのは、私の中では水族館に行くのと同じレベルに位置しています。他、お店の人と話して新しい知識を得たりと、一期一会の場であることも醍醐味の一つです。このような市場の楽しみ方は、間違いなく私の母親=華香ママ譲り。彼女も年に数回、市場に遊びに行っています。私たち親娘にとって市場に行く、というのはレジャーなのです。一方、目的を持った行動を良しとするham君には、私のような市場レジャー人間の行動は謎だと思われます。よって今回も、異常に興奮した私と一緒に近江町市場に来てくれたことには感謝しています。

近江町市場のほぼ全てのお店を見尽くした後、『廻る近江町市場寿し』でちょっと早めの昼食としました。新鮮で旬のネタのお寿司をお腹の許す限り頂きました。珍しい物好きな私は、白子のお寿司を初体験。生で頂くのは初めてだったのではないでしょうか。味は主張するものではなく、非常に形容し難いものでした。ただ、とろりと口の中でとろける感覚が印象的でした。嫌いではないですが、次からは主体的には注文はしないかな…と思いました。美味しかったといえば、ぶりとろ。気を失ってしまうかと思うほどの美味でした。

こうして大満足のうちに「近江町市場ツアー」を終えました。

年末 金沢旅行 #4 『主計町茶屋街』

『ひがし茶屋街』、『にし茶屋街』、そして『主計長茶屋街』があり、金沢三茶屋街として知られています。「主計長茶屋街を訪れるならば、夕暮れ時がオススメらしい」とham君が。お夕食の前に連れて行ってくれました。

その際、せっかくだから近くにある観光スポット、『暗がり坂』も見ていこうということになりました。『暗がり坂』、我々が到着した当初はまだうす暗がりで、足元も見えたのですが、日が落ちると本当に真っ暗でした。観光地とはいうものの住宅街ですから、お正月を迎える準備に忙しく働く人々の声が響いていました。私は旅行先で、このような地元の生活に触れるのがとても好きです。「ああ、ここにも日常の生活があるんだ」と安心します。目立たない私の毎日も、一日一日異なる日なんだと再確認できるからでしょうか。

『暗がり坂』を抜けて『主計長茶屋街』に出ると、浅野川の直ぐ横に立ち並ぶ茶屋や街灯の明かりが川面に映り、とても美しく、それは幻想的でさえありました。ここは1869年(明治2年)に遊郭が置かれたのが始まりとのこと。今でも紅殻格子が続く町並みが残っていると、私が持っていたガイドブックにはありましたが、我々が行った時には暗かったからか、年末という時期で休業のお店が多かったからか、はたまた、夕暮れ時の写真を撮るのに必死だったからか、理由はわかりませんが、残念ながら紅殻格子には気付きませんでした。

暫しのお散歩の後、お食事の為に『ホテル日航金沢』へ。マイレージポイント+αで、久々にフルコースを頂きました。ピアノの生演奏を聴きながら、窓一面にきらめく金沢の街を見下ろしながら、贅沢な時間を過ごしました。メニューで特に印象に残っているのは、「サクサクな衣をまとったアンコウを香ばしく焼き上げたフォアグラとご一緒に」と、「天然イノシシ背肉と冬野菜のアロゼ」でした。普段から食事中の会話を大事にしたいと思っている私たちですが、このようにちょっぴりの緊張感を抱きつつ美味しいお料理を頂くと、普段の食卓では出てこない話もでき、とても貴重なひと時を過ごせるので嬉しいです。ham君、素適な夕べをありがとう!

年末 金沢旅行 #3 『妙立寺』

この旅行の目玉とも言える『妙立寺』-人呼んで『忍者寺』-の見学に行って来ました。「忍者」とか「仕掛け」といった言葉を聞くだけでテンションが上がる私、『忍者寺』の見学とあってはウキウキし過ぎ、完全に針が振り切れていました。従い、受付の時も一番前で説明が聞けるようにと先頭を死守、ガイドさんと館内を回っている際も仕掛けを覗き込み過ぎて「危ないですよ!」と注意喚起される等、ham君は一緒にいて恥ずかしかったとのこと。失礼いたしました。しかし、お陰様で『忍者寺』ツアー、十二分に満喫させていただきました。ham君、お付き合いありがとう。

さて、この『正久山・妙立寺』は日蓮宗のお寺で、加賀3代藩主の前田利常公が1643年(寛永20年)に金沢城近くから移築したものです。当時は徳川幕府が天下統一の為、大名の謀反を恐れ、些細なことで諸大名を取り潰していた頃でした。ですから、利常公は無力を演じて幕府に安堵を与えつつも、武士が起居できる場として寺町を造り、これを隠れ蓑としました。その中で監視所の役割を持ったのが『妙立寺』だったのです。

当時は幕命で3階建て以上の建築は禁止されていました。ですから『妙立寺』も外観は2階建ての様相を呈しています。しかし、内部は4階建てで7層になっています。中2階、中々2階へと続く階段は29箇所もある他、部屋は全部で23室もあり、見学の際も、ガイドさんから離れると迷子になってしまうとの説明があるくらい、複雑な造りでした。最上階に位置している望楼は物見台としても活躍したとのことですし、また、お庭にあった大きな井戸は金沢城へ続く逃げ道になっていたと言われており、出城としての役割も果たしていたのではとの話もありました。

僧兵もしかり…ですが、『妙立寺』も加賀藩主の「祈願所」としての宗教的意味合いを持ちつつも、宗教を隠れ蓑に、武力を蓄える出城としての機関だったのです。これを思うと、宗教と争いという相反する二つのものの矛盾した共存は今も昔も変わらない、という思いが頭をもたげました。『からくり』にハイテンションになりつつも、一抹の虚しさを感じた見学でもありました。

2009/01/13

年末 金沢旅行 #2 『武家屋敷』


長町武家屋敷を訪れました。ビルが立ち並ぶ大通りから、ちょこっと裏に入ったところに広がる武家屋敷群。そこは、まさに江戸時代。現在では当時からの建物は殆ど残っていないとのことですが、何れの住宅も景観維持を心がけておられ、美しい町並みが表現されていました。

これらの武家屋敷群の中の『野村家跡』を訪れました。野村家は前田家の直臣として従った野村伝兵衛信貞の時代から、十一代に渡り明治四年の廃藩置県まで至っ た由緒のある家柄。その野村家も武士制度崩壊後、幾度か住人が変わり、昭和初期には傑商久保彦兵衛が、藩主を招いた豪邸の一部である謁見の間を移転し、現 在の『野村家跡』に至っています。

謁見の間は簡素な印象でした。しかし、縁側から見える内庭が、まるで兼六園を小さくしたようなものだったりと、趣向が凝らされており、見ている者の目を楽しませてくれまし た。この謁見の間を見学中、私の心をくすぐったのが「武者隠しの間」。畳一畳だったか、二畳だったかの狭い部屋で、謁見の際には藩主を守る為、お付の者が 控えていたのだそうです。そこの間に通じる襖には見事な絵が描かれており、カモフラージュしていました。

このお屋敷には別棟があります。 現在は渡り廊下が設置されていますが、嘗ては一旦外に出ての移動が必要だったのではないでしょうか。その別棟の二階はお茶室になっていました。ここもシン プルなお部屋でしたが、窓からは内庭を展望することができました。とても贅沢な造りになっていました。自然を感じながら住まう、このスタイルは安藤忠雄氏 の建築を彷彿とさせました。

『野村家跡』の間取り図。
(パンフレットより)
間取り図をぼんやり眺めて
トリップするのが大好きな私にはたまらない一枚。

2009/01/09

年末 金沢旅行 #1 『すみよしや』

昨年の年末、12月28日(日)、29日(月)と金沢に行って来ました。2008年の年始に訪れた際に(#1#2#3#4#5#6#7応募した懸賞が見事当選、一泊二日の旅行券を頂いたので、年に2回も金沢に、しかも!泊りがけで!行くことができました。

お世話になった旅館は『すみよしや』さん。江戸時代から旅籠を営んでこられたという歴史あるお宿でした。左の写真がその外観なのですが、その姿はとても素適でした。建物の中は流石に改装されていましたが、明かりを取り入れる窓や、曲がった太い梁が印象的でした。

曲がりくねった梁ですが、一本の太い木を使ってあります。白川郷の合掌造りでも、同様に曲がった太い木で梁が作られているとのことです。屋根に積もる雪の重さを分散させる為に、わざわざ曲がった木を使っているとのことです。まさに、代々伝わってきた雪国の生活の知恵です。『すみよしや』さんの梁も立派で、見ごたえがありました。また、古民家や町屋にも興味がある私としては、インテリアとしての味わいも見逃しがたいものでした。

2009/01/07

何があっても年は明ける

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

年末年始のham君のお休みは、12月28日(日)~1月4日(日)まで8日間でした。例年は29日に仕事納めがあるのですが、昨年は飛び石連休になるのを防ぐ為、27日(土)に休日出勤をして大型連休とされたようです。

この連休、ham君も私もとても楽しみにしていました。あちこち行きたい所だらけですが、人混みも苦手な私たち。民族大移動並みに人々が動く年末年始、毎年の如く空いている場所、日程を狙って予定を考えていました。

ところが…12月31日(水)。

大晦日の昼過ぎに、夫婦揃ってお夕食の買出しをと考えていたのですが、私の体調が何だか変になって来ました。ham君にお買い物をお願いし、少し横になることにしました。

その後も、ham君がポテトチップスをお土産に帰って来ても食欲が湧かず、ham君が食べるのを見るのも辛い程に体調が悪化。「ポテトチップス好きのakouが!コレは異常事態だ!」とham君は思ったそうです。

体調は良くなるどころか、徐々に悪化。嘔吐下痢に続き38度の発熱、歩くのさえ苦痛になってしまいました。熱が上がるまでは胃腸薬を飲んで寝ていよう…と、ham君と話していましたが、急な発熱にはインフルエンザを疑い、ham君が親切にも近くにある救命救急センターに連れて行ってくれました。この時既に21時頃。

病院に向かう自動車の中から息苦しかったのですが、それは徐々に酷くなり、病院で受付をする頃には歩行も困難に。そう!過喚起症候群を発症していたのです。腹痛、高熱、呼吸困難…しんどいことこの上なかったですが、過呼吸が収まらないことには診察は困難。暫くは紙袋を口に呼吸を整えることに専念。この時22時過ぎ。

まさか!病院で年越しか!と思われましたが、インフルエンザも陰性との結果を頂き、無事に自宅に帰って新年を迎えることができました。とは言うものの、当然ながら私はダウンしたまま、ham君は家事をしながらの年越しとなりました。ham君、看病に家事と色々ありがとうございました。

何人にも平等に時間は流れており、何はあっても時は過ぎ行くと常々思いつつも、毎年、大晦日になると「ああ、今年も終わるわ」と、一年を振り返ったり、新年の抱負を考えてたりと、「特別な時間」を意識していた私でした。しかし、今回は本当に何があっても年は明けると身をもって知りました。全く稀有な年越しを致しました。

その後、2日には無事回復。2日の夜は母方祖母宅、3日の昼は父方祖父母宅、同日夜は実家でモリモリご飯を頂いておりました。愛媛の実家にはお電話にて、お年始のご挨拶をさせてもらいました。毎年、「混んでいる時に帰ってこなくていいよ」と、我々のことを考えて下さるお義父さん、お義母さんには本当に感謝です。

4日には『ジャズドリーム長島』に『かまくら』で着る用のスノーウエアを調達に行って来ました(『かまくら』の記事にてupします)。突然のお誘いにもかかわらず、快く付き合ってくれたcana、荷物を持ってくれたham君、ありがとうございました!

年末にも楽しいことが沢山ありました。また日を改めてupしたいと思います。

*写真の門松:2003年、華香パパ作