2007/04/04

語学の話Ⅲ

ここ2日間ほど、語学についての話題をupしています。今日は、私がもう一度頑張ろうと思ったわけについて書きたいと思います。

先ず一つ目の理由は、もっと色々な話をしたいからと思ったからです。海外に行っても、余程のことが無い限りは、今の英語力でも問題はありません。ところが、友達と込み合った話になると困ります。何せ、私の限られた簡単な単語力では、思いを伝えきれないのです。先日、自宅近くの英語教室に入学の申し込みに行った際、クラス編成の面接を受けたのですが、ここで指摘されたことに、「幅広い単語力を身に付けることが課題」とありました。まさにその通りなのです(英語教室には結局私に合うクラスが無くて入学を断念しました)。初めて私が英語の世界に足を踏み入れたのは、小学校6年生のときだったのですが、そのとき学習した単語を今でも駆使して使い回していますから、お恥ずかしながら、私の英語は小学生レベルだったりするのです。もう少し『大人な英語』にレベルアップする必要性をひしひしと感じます。

理由の二つ目。最近、仕事について疑問に抱き、考えることが多いです。生涯、一つの仕事をしていくことの意味について考えています。つまり、転職という選択もあっても良いのではないかと思うのです。もちろん、生涯、一つの仕事で成果を残すこと、一つの会社に勤め上げることは、とても素晴らしいことだと思います。しかし一方で、一回しかない人生、一つの職業や一つの会社に限らず、他の可能性にも視野を広げることもまた、価値があるのではないかと思うのです。これは人それぞれ、価値観の違いがあると思います。私が、どちらを選択するか、今の時点ではなんともわかり兼ねますが、双方の価値観があることは念頭に置いておきたいと思っています。欲張りなのかもしれませんが、自分の人生に選択肢を残しておきたいと思うのです。そのためにも、英語力を高めておくことは無駄ではないと思っています。

語学はその言語が使われている地域の文化を色濃く反映していると思います。英語を頑張って勉強しようと言う理由の三つ目には、欧米文化に触れていたいというのがあります。このように感じるのは私だけなのかもしれませんが、日本語を使っているときと英語を使っているときでは、自分の中での『感覚』が違うような気がします。私は海外生活の経験はそんなに長くないですし、バイリンガルというにはおこがましいほどの英語力しかありません。しかし、ham君と話した限りでは、私の子供時代の異文化での体験が、この様な『感覚』に影響をしているのではないかと思われます。私はこの英語を使っているときの『感覚』が、とても開放的に感じられます。ですから、語学を通じてでも、少しでもこの文化に触れていと思います。このblogを読んで下さっている帰国子女の皆さんはどうでしょうか。子供の頃の海外での生活の経験が、今でも自分の中で進行形で影響していますか。よかったら教えてください。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

うん、すごくよくわかる!
やっぱり、中学生くらいのいわゆる「多感な時期」に異文化での生活を経験するっていうのは、その後の人生にもすごく大きな影響を与えるんじゃないかなあ。
私は日本人学校しか行った事がないし、英語だって高校からちゃんとやり始めたくらいだけど、それでも「英語脳」のときは普通に日本語で考えているときと明らかに感覚が違うよ。

匿名 さんのコメント...

Akouちゃん:なぜ言葉の学習を頑張りたいのか、言葉の形で表現することはとてもよいことだと思います。何故学ぶか、いかに学ぶか、そして何の用途に役立てるために学ぶか(何故とかなりダブりますが)さえ自分で分かっていて、あとはこつこつ継続的に学習すれば1年2年後には飛躍的に上達していることと思います。私のスイス生活でひとつ今の自分に影響を及ぼしているなと思うのは、英語圏ではなかったために、英語以外の言語にも潜在的な興味が芽生えたことかしら。大学の学部時代に出会った帰国子女の友達でも、ブラジルで生活していたのでポルトガル語が既にでき、それを基礎にラテン語系の他の言語(イタリア語・スペイン語・フランス語)を勉強している人がいました。その子には心の中で大拍手していた私もせっかくスイスでドイツ語の授業を受けていたのに、日本では大学の第二外国語の教室以外ではドイツ語を使う機会が全くナシ。それでもインター時代に同級生のスウェーデン人やひとつ下の級のノルウェー人が話しているのを聞いたスカウンジナヴィアの言葉を学んでみたくて、語学校に通い、ペンフレンドを募集したら・・・(その後はおわかりですよね)年齢がいくつであっても、やりたいと思ったときがやりどきなのだと思います。Akouちゃんにとっても今が英語のやりどきなのかも知れないわね。頑張ってね。

Unknown さんのコメント...

可愛い娘ちゃんが大好きなのはイタリアの影響。
幹事なんかをやっちゃうのはドイツの影響。
映像の仕事はフランスの影響。

ヨーロッパに怖さや偏見はないよねぇ。
大好きだよ、あの雰囲気や街並み。

できたら向こうに住みたいね。日本は日本で良いところが一杯あるけど、たまに帰ってくる程度でも十分かも。

英語って意味では、聞くのは問題ないなぁ。分かんない単語なんかも一杯あるけど、感覚で分かった気分にはなれる。(笑)
性格上、もっと簡単に言ってとか、ユックリ喋ってとか普通に言えるし、バイリンガルとは言えないけど、暮らしていく上で問題は無いと思うなぁ。急に英語で話しかけられると、やっぱ英語脳になっていないからビビルけどね。

あんま答えになっていないなぁ。まぁいいか。いつものことだ。

akou さんのコメント...

みんな、ありがとう。とても嬉しい。

>madoka32ちゃん
わかってもらえて、嬉しい。そして、よかった。『英語脳』のときとそうでないときの『感覚』の違いって、言葉で説明するのはとても難しくて…。しかも、もしかして私だけがそうなのか、他の人もそうなのか…すらわからなくて。ずっと以前から、誰かに聞きたい聞きたいと思っていて…。今回ようやく聞けた。文章にするの難しかったし、勇気がいったよ。でも、勇気を出して書いてよかった。
いわゆる『多感な時期』に異文化での生活を経験できたことは、今では貴重な経験だったと思うし、私達はきっと幸せだと思う。でも、ここもまた言葉にするのは難しいのだけど、日本に帰って来てからの方が、カルチャーショックというのか、自分の中で異文化の衝突のようなものを感じることが多いかな。これも私だけかな…と思いながら書いていますが。
いずれにしても、一つ確実なこととしていえるのが、あの時期に、Zurichで皆に会えたことは一生の宝やわ!

>irisjentaちゃん
ようやく英語を学びたい意味がはっきりしてきたように思います。今回、少々恥ずかしさはあったけれど、文字に表してみて、明確になってきた部分もあるかな。irisjentaちゃんが言うように、いまがやりどき!かも。あとはこつこつと、継続は力なりを実践することかな。それと、やはり私もドイツ語への興味が沸いてきています。私も学部時代にドイツ語を第二外国語のクラスで学んでいましたが…。本を読んで訳するという”日本のスタンダード”な語学学習だったので、全く話す機会なし。今一度、使えるドイツ語を学習したい気持ちが沸いています。
irisjentaちゃんは私よりもはるかに長い時間を海外で過ごしているし、もしかして、日本での生活よりも長いのかもしれないね。そして、今後はきっと海外で過ごす時間の方が長くなるのでしょうね。質問するのに少し勇気がいるのだけれど…。私は自分の中で上手い具合に文化が融合していないような違和感を感じているのだけれど、irisjentaちゃんの場合はどうですか。もしかして、私はもともと日本で過ごしてきたベースがあって、思春期に海外の影響を受けたからそんなふうに感じるのかな…と思って。irisjentaちゃんのように、小さな頃から長く海外にいると、また違っているのでしょうか。

>sotamann
うん、私も大好き。あの雰囲気や町並み。日本にも良いところが沢山あるし、そういう日本の良いところはすてきだけど、私も、別に日本に住んでいなくでも大丈夫で、たまに帰ってくるのでも十分かも。向こうに住んでいたときが、とても楽しくて、良い思い出が多いからそう思うのかな。向こうにいたときの方が、自分が生き生きしていたように思うんだけど、それも、すてきな思い出のせいなのかな…。なんか、上手く馴染めない自分がいて悲しくなるよ。
私もバイリンガルは言えないと思うけれど、『英語脳』に切り替わる瞬間って不思議だね。あれはどうなっているんだろうね。そう思うと、同時通訳と化している人って、ものすごいスピードで『英語脳』から『日本語脳』に行ったりきたりしてるのかな…。

匿名 さんのコメント...

Akouちゃん、ご質問を有難う。私は今住んでいるところで5か国目(イギリス・日本・スイス・ノルウェー・合衆国)だけれど、移動していく先で、今はもう住んでいない国で知らず知らず吸収されたものの見方や感じ方が飛び出してくることが多くなってくるのに自分でも驚きます。日本で日本人に囲まれて生活していたときよりも、国外に出たときのほうがやはり自分の日本人性を感じるし、オスロからNYから引っ越した今は「(ノルウェーではこうだったのに・ノルウェー人だったらこんな状況に対してこんな反応をするのに)こちらでは(こちらのひとは)どうしてこうな訳?」と問いたくなることがたびたびです。その国(文化圏)でずっと生活してきて外に出たことがないひとなら当然視したり疑問に感じないことを疑問に感じてしまうのだから、正直言うと心理的に苦しいこともあるけれど、これまで生きてくる間にあちこち違う環境に身をおいてきたのだからそのような感じ方をするのも不思議ではないし、そのほうが(常にとはいえないけれど)面白いこともある、と自分に言い聞かせています・・・。今日はこれから家を出ますが、またそのうちこの”テーマ”について掘り下げて書ければよいなと思います。

akou さんのコメント...

>irisjentaちゃん
ご丁寧にお返事ありがとう。ずっと同じ文化の中で暮らしている人が当たり前に思うことに疑問を感じる…、まさにそうですね。私のように3年ばかりの海外での生活経験でも、このようなことはあります。「郷に入らば郷に従え」と思うけれど、これがなかなか難しい。私もirisjentaちゃんが言うように「しんどい」こともあるけれど、色々な価値観を知っていることは、とても幸運!と受け止めて、前向きに考えています。私にとっては、今後も向き合っていかないといけない、永遠の「テーマ」のように思っています。