2008/06/01

甲賀流忍術屋敷へ行く 6月1日(日)

テニス合宿の下見に行く途中、私の達ての希望により『甲賀流忍術屋敷』に行って来ました。『甲賀流忍術屋敷』は、元禄年間に建てられた現存するこの忍術屋敷、歴史、そして建築物好きな私にとっては、まさに興味のツボそのもの。下見に行くことが決まった日から、訪問をとても楽しみにしていました。

このお屋敷は甲賀武士53家の筆頭、望月出雲守の住宅がったそうです。現在、ここには住んでおられないですが、子孫の方がいらっしゃるようです。本来、忍者は裏家業ですから、その名や業績は歴史の表舞台に出ることなく秘密裏に処理され、表にでることはありませんでした。しかし甲賀流と伊賀流の忍者に限っては、拠点が交通の要所にあったこと、本能寺の変後に家康を護衛して三河へ逃れさせた業績が評価されたことから、幕府に雇われ、活躍の場を得ることができました。またこの為、歴史の表舞台での記録にも残っているのです。

私は忍者というと、攻撃的に相手と闘う存在として認識していましたが、どうやらそうではなかったようです。甲賀流に限って言えば、一つの自治体的要素も兼ね備えた集団でもあり、そもそも、これを守る為、又、自身の身を守る為に身につけたのが忍術で、むしろ自衛的な要素が強かったようです。ですから、今回訪れた忍術屋敷のからくり窓にかくし梯子(右写真)、どんでんがえしや落とし穴等の仕掛けも、如何に時間を稼ぎながら敵の襲撃から逃れるか、ここに目的があったようです。まさに、逃げるが勝ちの理論だと思いました。甲賀流では合議制によって様々のことが決定されていたようですが、この話し合いにて決めるという精神も含めて、非常に民主的で且つ平和主義的な集団だったと思いを馳せます。説明をして下さったガイド氏も仰ってましたが、忍者は歴史上の存在ですが、現代において、我々が彼らから学ぶことは多そうです。

今回訪れた『甲賀流忍術屋敷』は、ある程度日本の歴史を知った大人の方が楽しめる、非常に文化的価値の高いものに感じました。もちろん、お屋敷のあちらこちらに現存する仕掛けの数々は、子供にも魅力的ではあろうかとおもいますが、テーマパーク的要素は少なく感じました。と言いつつ、手裏剣投げの体験コーナー(有料)で、かなり真剣になって手裏剣を投げてきたノリピーちゃん、ham氏、そして私でした。


追記
なんと!この『甲賀流忍術屋敷』、ハリソン・フォード氏と、その息子さんも見学に来られたことがあるそうで、サインと写真が飾ってありました!

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