2009/12/29

女性の品格

女性の向上心」に引き続き読んだのがこの本でした。

この本の中の一説に、キリスト教と孔子の思想について触れられている箇所がありました。それによると、キリスト教は自分がして欲しいと思うように相手に接するよう説いてあり、孔子は自分がして欲しくないことは相手にもしてはならぬと説いているとありました。前者を西洋文化とするならば、後者はアジアもしくは日本文化というように言えないでしょうか。仮ににそのように言い換えてこのあとを書き進みます。

この本では後者の考え方が”おくゆかしく”より品格がある、という立場にありました。もちろん本著は西洋文化をけなしたものではなく、日本の良さを大切にすることを奨励しているのだと思います。西洋文化では自分から積極的に相手に働きかける…ということになると思うのですが、では、これには”おくゆかしさ”はないのでしょうか。確かに自分がして欲しくないことは…の方では相手の気持ちを慮るのに比し、キリスト教のやり方では”お節介”な印象がないわけではありません。しかし前者の場合では、相手にその”お節介”を受けるか受けないかの選択権も同時に用意されているのではないでしょうか。つまり”相手”には”NO”を言う権利がある。一方で、後者は自分がして欲しくないことは相手にもしないわけですが、もしかしたら相手は”自分”と違って、”自分がしてほしくないこと”をして欲しいかもしれないのです。つまり、”自分”が全ての決定権を持っているとも言え、極端な言い方を持ってすれば、いささか独り善がりな気がしないでもありません。

これら2つの考え方の背景には、”個人”の考え方に大きな違いがあると思います。西洋的な考えでは、”自分”あっての”相手”で、この2つは最初から違う立場にあります。そのような異なる個人の集まりが全体なわけです。一方、日本的な考えでは、全体の中の”自分”と”相手”と言いましょうか…。例えば、日本の伝統芸能では”カタ”を学ぶことから始め、そのうちに他の人とは違うキラリと光る個性が生まれると思うのですが…。これと同じ論理で言うなれば、全体の大きな流れの中にいることで自己が明確化されていくといったらよいでしょうか。つまり、西洋と日本では個人の捉え方が元から違うと思うのです。

じゃあ、私はどちらの考え方がしっくりくるかと言うと、前者の方です。従い、この本を読み進めるにあたっては若干の抵抗がありました。が、上記の様なことを熟考できた、またとない素晴らしい機会となりました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も以前に読みました。同じ個所で「私ならどうかな…」って考えたものです。
日常を振り返るとやはり私は両方です。職場での人間関係でも自分がして欲しいように行動すると(例えば丁寧に話してほしいならいつも丁寧な話し方をしていると周りもそうなってきました)その方向に向いてきますし…
自分が嫌なことは人には決してしません、したくないです。
そう考えると東西融合も悪くないかも…
          
           お菓子作り好きのK

追伸:スポンジは卵の泡立て(私は別立て)が決め手! あと小麦粉はレシピより控え目にした方がふわふわ感がでます!

akou さんのコメント...

>お菓子作り好きのKさん
コメントありがとうございます。

この本を読まれたことがあるとのこと。共有できる方がおられてとても嬉しいです。確かこの本、だいぶん前に話題になっていましたよね!?毎度のコトながら時代の波に乗り損ねて、今になって読んでいる私です。

仰る通り東西融合、とても悪くないと思います。日本人である私は、日本の文化を知らず知らず受け継いできているはずですから、その良いところを自分の物として大切にしつつ、西洋の文化をも取り入れられたら最高なのでしょう。この二つが上手く混ざり合う日はいつかしら…。

スポンジ、やっぱり別立てが良いのでしょうね…。つい面倒臭くて…サボってしまいますね。小麦粉!一度やってみます。ありがとうございます。