かなり以前より「行きたい!」と思っていた場所に、ham君と一緒に行ってきました。沖島です。琵琶湖に浮かぶ最大の島にして、淡水湖の中に人が住む島としては国内唯一、世界的にも珍しい島なのだそうです。私たち夫婦が好きな
動物写真家の岩合光昭さんも沖島を訪れて、猫の写真を撮られたことがあるらしく、猫好きの私たちには、どんな猫との出会いがあるのか、これも楽しみの一つでした。
今回、沖島を訪れるにあたって、少し沖島について調べてみました。近江八幡観光物産協会のHPによると、沖島に本格的に人が住み始めたのは、保元・平治の乱 (1156~1159)による源氏の落武者7人が記録されているようです。まさに落武者伝説の残る島、ということでしょうか。なんだか「浅見光彦シリー ズ」の世界を実体験するようで、わくわくのおでかけでした。
我々は、滋賀県は近江八幡市、堀切港より船に乗り、沖島に向かいました。同じく近江八幡市の長命寺港からも、沖島行きの定期便が出ているのですが、なんと、 1日に1本!自然、選択肢は堀切港から…ということに。堀切港からは、船に乗ること10~15分で沖島に到着。運賃は大人片道400円也。舟は1日に11 往復しています。
G.W.の真っ只中の昨日は島に帰省する人、島から遊びに出る人、私たち同様ぶらり旅の人々により、船内は賑わっていまし た。昨日は少々霞がかかった感はありましたが、お天気も良く、船上からの景色はとても美しかったです。船には船長さんと、車掌さん(!?)兼乗り組み員のおじさんがおられました。そのおじさんは、お客さんが全員乗船すると運賃を回収に回られます。そして全員から運賃を徴収し、一仕事終えると、お客さんとの暫しのお喋りタイム。おじさん曰く、桜の季節に島に行くと、島では港を 囲むようにして植わっている桜が素晴らしいとのこと。きっと湖面に映える桜の花々は美しいのでしょうね。
我 々は12時15分の便にて沖島に向かいましたから、島に到着したのは丁度お昼時。現地にも食事処や民宿はあるのですが、何れも予約制とのこと。今回の沖島行きは天候も鑑みて、最終的には当日に行くかどうかを判断しようと思っていましたから、私たちは食事処は予約せず、お弁当を持って行きました。そういうわけで島に到着したら、先ずはお弁当スポット探しから始めました。そこで私が選んだのが
沖島小学校のグランドです。現在、1年生~6年生まで10人の児童が学んでいるとのこと。我々はグランドと校舎を背に、琵琶湖を眺めながら持っていった自家製クリームパン、たまごパン、ベーコンロールパンを頬張り、暫しランチタイムを楽しみました。
その後、ブラックバスを狙う青年達を横目に、我々は島内を散策しました。沖島は面積1.53k㎡、周囲6.8kmと小さな島ですが、人の住んでいるエリアは 更に限られており、1時間もあればクルリと見て回れる程でした。その地域に家々が犇き合う様にして軒を連ねていました。その家々の隙間に小さな畑が処狭し と区画されており、それぞれのお宅が野菜やら花やらを作っておられました。私たちが見た限りにおいて、島内に日用品や食品を扱う商店は無く、自動販売機ですらジュース用が二つ、タバコ用が一つといった具合でしたから、生活に必要なものは船に乗って調達せねばならないのでしょう。お野菜など自給自足できるも のは各自で補うという生活なのだということが、一目瞭然でした。
島 の中では自動車、スクーターといったエンジンのついた乗り物はなく、自転車、三輪自転車が主な乗り物のようでした。それもそのはず、島内に巡らされた道は路地といった方が適当なものばかりでした。自動車が通る道に慣れている我々は、「これは公道なのだろうか…どこかのお宅の中なんじゃないかしら…」と、なんだ かソワソワしながら、不安を抱きながら、歩を進めることとなりました。その様なわけですから、もちろん島内に信号機は一台も無く、なんだか不思議な空間に舞い込んだ感 を覚えました。しかし、現実に立ち戻ってこの状況を考えてみると、この様に家々の間を縫うような路地が交通網のこの島、火災があれば一溜まりもないことは容易に推測できます。その為でしょう、路地の至る所に赤い消火栓や、火の後始末や取り扱いの注意を喚起する看板が配置されているのが目立ちました。また、港には消防艇も置い てあり、島民の皆さんの日々の心掛けが見受けられました。
これらの他、路地を歩いていて気になったのがお地蔵さま。何処のお宅の軒先にもお地蔵さまがおられるのです。なんでも、沖島には男児が生まれるとお地蔵さまを祭る習慣があるらしく、路地のあちこちに花の手向けられたお地蔵さまがおられました。下の写真では見え難いかと思いますが、家と家の細い細い路地の突き当たりにお地蔵さまが鎮座しておられます。
この様に、あちらこちらと路地を彷徨い迷いながら、目的地である西福寺へ。源氏の落武者の一人、茶谷重右衛門の末裔が蓮如上人に帰依し、庵を建てたこ とに始まったとされる、歴史深い由緒あるお寺のようです。ここには立派な蓮如上人像が安置されていました。私たちがお寺を訪れたのは午後2時頃だったのですが、丁度、何か催しがあったのか、島のおばあちゃんたちが三輪自転車に乗って、続々と境内に集まって来ておられました。おばあちゃんが一斉に同じ方角を向いて三 輪自転車を漕いで行く様子は、これまさに圧巻でした。
お寺にお参りをし、その路地をそのまま真っ直ぐ抜けると、あっと言う間に島の反対側に出ました。港がある方とは違い、船のエンジン音、人々の声からさえも遠ざかり、聴こえるのは鳥の鳴く声と、さざ波の音のみという静けさ。そこからの景色はまさに別天地、絶景でした。
最後に島にある神社の一つである奥津島神社に行きました。高台の上に建っているお宮さんで、階段はとても急でおっかなびっくり登り、参拝をしました。この神社は藤原不比等の建立に始まるそうです。お宮さんのお世話は島で42歳になった人が一年間するというしきたりになっているようで、その交代式は大晦日の深夜に行われるのだそうです。私たちがお参りした日は、島のお祭りの翌日だったようで、境内が少々汚れていました。だからでしょう、お世話役の方でしょうか、一人の男性がお掃除をしておられました。
神社に参拝し、時計を見ると、午後2時の船が港を出てしまった後でした。次の船は午後4時までありません。あらら…と思いましたが、高台の神社からの眺めを楽しんだり、港に腰掛けて波を見ながらぼんやりしたり…そして…私と言えばham君にもたれながら、とろりとろりとまどろんだり…、とてものんびりと時間を過ごすことができました。
ほんの半日ばかり、しかも、遠出をしたわけではなかったのですが、とても遠くまで来てしまった様な、とても長い時間を島で過ごしたような、なんだか不思議な旅をしてきました。