内田康夫氏の「浅見光彦シリーズ」の100冊目、つまり、最新作を読み終えました。面白かったです。
しかし、私、どうしてこんなにハマッてしまったのでしょうか。「丁度100冊あるので、読破したい!」という妙な拘りだけでは、これだけの「読みたい意欲」は沸いてこないはず。
それで、今回、「どうして?」と考えてみました。
「悪」は当然罰せられるべき対象だけど、「悪」を働く側にも、そうせざるを得なかった環境があり、どこかで歯車が誤って噛み合ってしまった故の「悪」である、と「人間性善説」の精神、「盗人にも三分の理」の精神が、「浅見光彦シリーズ」には一貫してある、と言うことに遅ればせながら気が付きました。
「自分が正義と信じて行ったことが、相手にとっても正義であるとは言えない」という内容を、物語中で浅見光彦氏が言っています。よく言われる、「相手の立場に立つ」ということ、つまり、「視点の置き換え」だとか「発想の転換」、そういった作業をスマートにこなす浅見光彦氏。そういう物の見方をしない人ならば、悪党どもをとっくの昔に「天に代わって成敗」しているはず。「人間性善説」、「盗人にも三分の理」なんて考えが出てくるはずもありません。
「相手の立場に立つ」、「視点の置き換え」、「発想の転換」、言うは易しですが、なにせ、全体を客観的、且つ、的確に把握する情報処理能力が先ず必要だし、理論的な思考も必須、なかなか難しい作業です。憧れますね、そういう人。結局、浅見光彦ファン、ということでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿