『冷静と情熱のあいだ』を読んでから、江國香織さんの小説を読むようになりました。今回は『号泣する準備はできていた』を市立図書館で借りてきました。新書は特にハードカバーだと高いし、買うとどんどん自宅に溜まっていく一方で置く場所がなくなります。ですから、小説はなるべく図書館を利用するようにしてます。というわけで、今回の本も随分前に売り出されたもので、少々の時差を持って漸く読むに至ったわけです。
幾つかの短編からなるこの本、それぞれの主人公の日常の一こまを切り取ったような物語の集まりでした。恋愛について、家族についてなど、色々な物語がありましたが、そのどれもが「いままで、当然に流れている時間」「当たり前のように目の前にあるもの」が無くなる、あるいは無くなったという内容だったと思います。
本当は大切なものを失ったときに「号泣する準備はできている」のだけれど、同じ様に流れていく日常の中で、些細な出来事と向き合っていると、「当たり前のあるもの」が永遠のように思えてしまうのかもしれません。若しくは、そう思おうとしているのかもしれません。
「平凡」や「普通」は、ともすれば否定的な意味で使われる言葉でもありますが、本当は「平凡」であり、「普通」の状態を保つことは、日々の努力が無いと達成できない「非凡」で、且つ素晴らしいことなのではないかと思います。「当たり前のあるもの」に感謝の心を忘れず、「平凡」で「普通」の毎日の中に、何か自分ができることを見つけ、これを喜びに変えていくというのは、なんと難しいことなんでしょう。
2 件のコメント:
私も今度読んでみます。
題名におどろきました。
>めがねうさぎさん
…ですよね。どういう意味なんだろう…と思いながら読み進めました。ぜひ、読んで見てください。感想、楽しみにしています。
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