江國香織さんの『江國香織ヴァラエティ』を読んだ際、その中で紹介されていた一冊の本、それが『雨水を飲みながら-あるフェミニストの回想-』でした。「読みたい」という気持ちはありましたが、積極的に入手するには至らずに日々が過ぎ、「読みたい」気持ちも徐々に記憶の中にストックされていきました。
ところが、最近はまっていたダン・ブラウン氏の著書を捜し求めて図書館内をウロウロとしていた時、『雨水を飲みながら-あるフェミニストの回想-』が偶然にも私の眼に留まったのです。これは何かの縁と借りて帰り、読むこととなりました。本との出会いって、時として運命的だったりする…と私は思うのですが、皆さんはいかがでしょう。
アリックス・ケイツ シャルマンが自身の半生を回想して記したこの本、少しずつ味わいながら読んだ、そんな一冊でした。
人生には折々に岐路と呼ばれるものがあるのだと思っていましたが、この本を読むまでは、それが一生続くものだという実感が私にはありませんでした。
高校生辺りまでは大きな決定事項にて、いくら自分の意思を尊重してもらったとはいえ、やはり両親の支援を受けつつ進む道を決めて来たように思います。それ以降は自分で考え迷い、悩み、時に挫折を味わい、そして選んで来たこの生き方でした。
学生生活にピリオドを打ち、職に就き伴侶を得、日々の生活を繰り返すようになってからは、人並みに日常が変化したとしても、人生の分かれ道に再び遭遇することなど無いと、どこかで信じていたように思います。しかし、1年と少し前に思いもよらぬ出来事に遭遇して、再び自身の歩むべき方向について考えなければならない現実に直面。人生の岐路に立つという経験は思春期の人にのみ許された特権ではないことに気付きました。
時の流れとともに年齢を重ねてから出会う岐路では、経験や知識を積み重ねていますから、思春期には一人で乗り越えられなかった困難にも耐えうる力を授かっているかもしれません。しかし、幾層にも重なった自分だけの経験が時に邪魔をして判断を鈍らせることもあります。
『雨水を飲みながら-あるフェミニストの回想-』の著者アリックス・ケイツ シャルマンさんも、過去の自身の業績が何の価値もないように感じる瞬間、今までの自分の生き方、信じてきたものを否定されたかのように思える瞬間を経験されます。そして何もない島の小屋で一人で、最小限必要な物のみに囲まれて暮らすことを選ばれました。その体験の中で徐々に自身の新たなスタイルを構築され、思いがけず出会った人生の岐路を、努力により見事な判断で進んで行かれたのです。
ああ、人は幾つになっても岐路に立ちうるんだ、その事実を知り、とても勇気付けられた一冊でした。そして、常に歩むべき道は自分の力で切り開いていかなくてはならないということも、改めて思い知らされた一冊でもありました。自分の今の状態を受容でき、又、とても勇気を与えられたこの著書、本当に運命の出会いと言える本だったかもしれません。
2 件のコメント:
お久しぶり~。
本との運命の出会い、分かる気がするよ。
他のタイミングで読んでたらピンと来なかったかもしれないことが、そのタイミングだからこそ、しっくり染み渡ることってあるよね。きっと、本の方でもakouちゃんのことを呼んだんだね~^^
『江國香織のヴァラエティ』は読んだことないけど、私も江國さん大好き♪
そして、このレビューを読んで私も『雨水を飲みながら』も読んでみたくなったよ。
>rikaちゃん
本当にお久しぶり!
そう!本って不思議よね。心を捉えて離さない時っていうのが本当にあるね。そう思うと過去に読んだ本でも、今、読み返したらまた違った…ってこともあるんだろうね。
rikaちゃんも江國香織さん好きなんや!私の周りには結構、江國さんファンがいるわ。日常を切り取ってタンタンと、ひたすらタンタンと、同じリズムで始まって終わっていく…。最初の一冊では『?』だったけれど、なんというか…、癖になるね。
私は江國香織さんの本、結構沢山読んだと思っているけれど、まだまだ読んでないのがあるかもしれない。というか、読んでないのがあることをひたすら祈りたい、そういう感じです。
『雨水を飲みながら』、オススメです。
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