2009/08/28

アルプスの小さな村で暮らすを読んで

思っていた以上に色々と考えさせられた本でした。図書館で書棚から出した時は、もしかしたら登山ガイド的な内容かもしれないと、過度な期待を寄せずに借りてきましたが、実際は一人の女性がアルプスの麓の村に住んだ(?)住んでいる(?)経験が綴られたものでした。アルプスの麓の村というのはZermatt(ツェルマット)のことで、私もスイスに住んでいた頃に数日間旅したことがありましたから、とても身近に内容を読むことができました。

中でも印象に残っているのが、スイスでは個人が尊重されていると数度に渡り記してあったことです。私たち家族がスイスに住んでいた頃、私の祖父母が我々を訪ねてやって来た際に口にしたのと同じ言葉でした。この著者の柿沼氏がこの言葉について説明しておられた内容と私の祖父母が当時話していたことが、また同じだったことにも驚きました。柿沼氏は、スイスでは日本にいたら避けられるような服装をした人も堂々と過ごしていて、また周囲の人達も大きな関心を寄せていない、というようなことを書いておられました。私の祖父母はスイスの人々の服装を例にとってこのような説明をしました。-スイスの人たちは自分たちの思い思いの好きな服装をしている。暑いと思った人は上着を脱いで半袖を着て、寒いと思った人はセーターを着る。同じ場所に同じ時間にいても一人は夏のような格好で、もう一人は冬の格好をしている。それが当たり前のようにある-当時まだ子供だった私はそうなのか…と思っていましたが、日本に帰国してだいぶ経ってからこの意味が理解できたように思います。特に最近では頻繁に思い返しては納得している始末です。服装に例えての説明が続きましたが、要するにスイスでは本人が良いと思うことを実行している人が多いということだと思います(これはスイスに限らないし、スイス人の中でもそうでない人もいるのかもしれません)。そして自分が良いと思うことを大切にするので、他人がこれまた良しと思ってしていることも尊重する、そういうことではないでしょうか。

再び洋服の話になりますが、今日本に住んでいて街に出ると、同じような格好をした人たちをそこここで見ます。要するに流行のファッションを装う人が殆どということです。それぞれに思いを持って着こなしているのでしょうが、皆同じに見えてしまうのは私だけでしょうか。流行に遅れないように皆が装うからなのか、多くの人がしていることが正しいという認識が存在するのか、自分だけはみ出したくないと思うからなのか、なにがそうしているのか複雑なのだと思います。しかし、このところ個人の意思が見えなくなり、あたかも集団に意志が存在する社会に感じるのは私だけでしょうか。

一人の人の生活記からどんどんと考えが派生して、本当に多くのことを思い巡らしました。有意義な読書でした。

2 件のコメント:

ふるかわ ともえ さんのコメント...

個人を尊重されるということはとても大事ですがその分個人が成熟しているということなのでしょうね。

akou さんのコメント...

>ふるかわ ともえさん
そうですよね。成熟している、ということが基礎にあってこそ、お互い尊重し合える、ということだと思います。各々が好き勝手してるわけではない、責任をもった行い、その為の個人の成熟、そいう個人を育てる文化的基盤があるのだと思います。ふるかわ ともえさんのコメントのお陰でさらに考えを深めることができました。ありがとうございます。