2008/01/17

スノーシューイング 1月13日・14日 

2004年3月に初めてスノーシューを体験して以来、この面白さにどっぷりとはまってしまいました。以前の私ならば、スキー場を目の前にして、ゲレンデに出ないなんて全く有り得ないことでしたが、今ではアリンコのようにゲレンデで滑る人々を見て、「あー、あんなところでは滑りたくない」と思うほど。決してスキーへの興味が薄れたわけではないですし、もっともっとスキーが上手くなりたいとは思う気持ちは変わりません。ですが、今年の2泊3日の白馬旅行では一度もゲレンデには出ることはありませんでした。子供の頃の私を振り返ると、これは信じ難い事実です。何せ、あの頃は父親に連れられて山に籠もり、バカンスなのに部活並みに、それこそ朝から晩、暗くなるまで滑っていましたから。

では、何故そんなにもスノーシューに魅せられてしまったのか、先ず一つには、スノーシューで山を歩いていると、景色を思う存分堪能できると言うこと。今回のスノーシューイングでも、それは素晴らしい風景を楽しむことができました。もちろんスキーの場合でも、リフトに乗っているときや、ゲレンデで立ち止まったときなどに、周囲の美しい山々や、木々にきらめく雪を見ることが出来ますが、私の場合、ついつい技術の向上に思考を奪われ、自然を楽しむという意識が希薄になってしまいます。一方、スノーシューを履いて歩いていると、動物の足跡に出くわしたり、枝の合間に鳥の巣を見つけたりするほか、木々が春に向けて準備している様など、間近で自然を感じられるのです。

それに、スノーシューで何がおもしろいって、それは、下り道です。”かむる~ぷす”の”かまくら作り”に参加するようになって、今年で4回目を数えますが、この下り道の楽しさは回を重ねるごとに増すように思います。山の中の道なき道を、木々の間を縫って駆け下りる。たまには撃沈することもあるけれど、それでも止められません。何かに取り付かれたかのように、何故か皆それぞれに「ёлбиЭЩ¢жЮ!!!」と、意味不明の雄叫び!?を上げながら駆け下りてくるのですよね。ものすごい開放感を味わえます。斜面を下るという意味ではスキーも同じなのですが、スノーシューには何か不思議な魅力があります。予測不可能な楽しさ、とでも言うのでしょうか。スキーならばゲレンデに立ち、どの様な感じで滑り降りようかとイメージをし、「ああ、あそこ転びそう」と、ある程度の予測ができます。そして、実際に滑ってみて「ああ、やっぱり」と予想通りの場所でバランスを崩し(たまには持ち直すこともあるけれど)転ぶわけです。しかし、スノーシューでは「今回はこのルートで駆け下りるぞ!」と思って勢い良く飛び出すのですが、何せ相手は人工的に整備されたゲレンデと違い、自然そのもの。思わぬところに穴があったり、木の根っこが「イヒヒ」と言わんばかりに潜んでいたりして、描いたイメージは呆気なく裏切られてしまうのです。この偶然に満ち溢れたというか、予測不可能で先の見えないところを如何に撃沈せずに駆け降りるか。登りは自力でえっちらおっちら行くわけですから、本当の待ったなしの一発勝負、この一瞬に賭ける、というような刹那的な面白さがあります。自然が相手だからでしょうね(バックカントリーを長くされている方にとったら、序の口のスノーシューイングなのかもしれませんが、何せゲレンデ育ちの私には大いなる大自然です)。なんだか、一本一本の下りが、人生に例えられそうで、哲学的な感じさえします。

そんな心弾むスノーシューイングを、このように毎年楽しめるのも、一重に”かむる~ぷす”のお父さん、お母さん、そして、かまくら~な仲間たちのお陰と有難く思っています。先日、”かまくら作り”から帰って来てからというもの、なんだかとっても寂しく、皆さんと出会えた幸福を感じない日はありません。また是非、お会いできたらと思います。

今年は残念ながら、最もかまくら~な人達である隊長ご夫妻が不在で、共に山を駆け下りることが出来ませんでしたが、来年は是非、一緒に雄叫びを上げたいです。

最後に「ねずみグッズ」。
ham君が大学院生のとき
研究でお世話になった方々と同じ種類のハムスター。
もちろん、ham君ご自身がご購入。

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